『進みながら強くなる』思考と道徳について考える。



 文部科学省が道徳の教科化を決定したことで、喧々諤々の議論が巻き起こった事は記憶に新しい。マスコミなどで繰り返される道徳の教科化を巡る議論を聞いていると、賛成、反対派を問わず、どこか紋切り型な話が多い。

日本社会の根幹にどのようなシステムが存在し、それが日本社会の道徳形成にどう影響したかという、もっとも重要な思考的考察がこれらの議論には抜け落ちているのではないか。仏文学者の鹿島茂が著した本書は、そんな疑問に大きなヒントを与えてくれる。

本書は家族人類学者のエマニュエル・トッドの考えを根底に、家族形態の違いこそが人の思考を規定する、という観点で物事が考察されている。

ではエマニュエル・トッドが考える家族形態の類型とは、どのようなものなのであるろうか。まず、アメリカ、イギリス、フランスといった国々を「核家族」形態とし、日本、韓国、ドイツ、スウェーデンなどの国を「直系家族」形態と分類している。さらに細かい分類と分析も記されているが、ここでは省く。

ここで説明するまでもないかもしれないが、核家族の特徴は父、母、子の組み合わせが最小にして最大の単位を形づくり、子供は独立した生計を営むようになると親元を離れ、同居することはなくなる。また子供が独立した時点で一個の人格として認め、お互いに干渉することをしなくなる。直系型家族の特徴は子供が成人して生計を立てられるようになっても、親は子供の一人と同居し続けるというのが特徴だ。

著者は日本でも形こそ核家族化したように見えるとはいえ、その実態は直系家族の変異した形態でしかなく、本質的な部分で直系家族の形態を引き継いでいるとしている。

核家型家族の社会では、子は親から独立することにより、完全な自由を手にするが、その反面、自らの行動の全てにおいて自己責任が問われる。このため、教育において自ら「考える」姿勢を、非常に強く教え込まれるという。

一方で直系型家族は親の権威が強く子は独立後も、多くの決断を親に委ねているため、自ら物を考えることが苦手であり、代々続く伝統的価値観を墨守する傾向が強いという。

直系型家族の国々では概してモラルが高いことが多い。父権というものが人々の意識の中に常に存在し、人々の行動を監視している為である。フロイトはそれを超自我と呼んでいる。フロイトもまた、強固な父権が存在する直系型家族形態の社会を営むユダヤ人である。

父権に支えられた超自我が、私たちのモラルを常に規定している。これらの考察を読んでいると日本はモラルが高い反面、社会や思考が柔軟さをかき硬直化しやすくなるような欠点を抱えているように思える。

では、一方で核家族形態の社会でモラルというものはどのように形成されるのだろうか。著者はこれらの国々では、「考えること」がモラルを規定しているという。考える事とは、つまり自己の利益を最大化するこういだという。このように聞くと、むしろ人々が自由に振る舞い、秩序が失われるように思える。だが、実際はそうはならない。なぜならば、欲望を100パーセント出してしまえば、必要以上に競争が激化し、手に入る利益が縮小してしまうのだ。

自己の利益を最大化するためには、理性によって欲望や自己愛をある程度コントロールする必要がある。このような社会では「正しく理解された自己利益」というものを常に考え、発展させていく必要が生じるというのだ。

「正しく理解された自己利益」に基づく秩序を、絶対核家族社会であるイギリスに生まれた社会学者ホッブズは社会契約と呼んでいる。このタイプの社会は、常に利益の最大化すために、イノベーションが生まれやすく、柔軟な社会システムを生む一方で、時には理性というブレーキの利きが弱くなり、利益追求が行き過ぎてしまうこともある。現代の社会を覆う資本主義システムもまた、この核家型社会が生み出したものなのである。

戦後、アメリカ型の民主主義や経済システムを取り入れてきた日本では、徐々にではあるが、家族形態の変化が起きている。これが、モラルの低下と呼ばれるものの正体であるようだ。

父権の低下により超自我の存在が私たちの中から薄れつつある。その一方で、日本人は核家族社会のように、「正しく理解された自己利益」というものを思考するような教育を受けてはいない。

著者はこのため、いかに思考するか、思考するとはどのような事か、という問題をデカルト著の『方法序説』とパスカルの言葉を引用しながら説明する。個々人が自ら深く社会のあり方を問いながら、新しい道徳観を形成しなければいけない時代が来ているのではないかと、問いかけている。

安倍政権はアメリカ型の社会システムをより積極的に取り入れる方向に舵をきろうとしている。だが、資本主義社会の中で、安倍首相などが望む旧態依然の道徳観を人々に押しつけようとすれば、混乱が広がるばかりなのかもしれない。現実と理想とで引き裂かれたアイデンティティの混乱が過激な排外思想へと発展する可能性さえあるのでは、と邪推してしまう。

そう考えると著者のいうように新しい道徳を生み出す時期に来ているのかもしれない。だが、日本の社会が天皇を頂点にした、一種の疑似直系家族型社会である事を思うと、核家族型の思想体系と日本の思想提携をどのように融合させるのかという、政治的問題が常に付きまとうのかもしれない。

ただ、資本主義社会の中で「正しく理解された自己利益」を追及する思考を学ぶことは個人の人生にとって大きなプラスになる事は間違いないと思う。その一点だけとっても本書は読むに値するのではないか。

考えてみれば日本の近代史とは、この様な思想的緊張の連続だったのではないか。かつて中江兆民が『三酔人経綸問答』で、引き裂かれた日本の価値観を見事に描写したが、その答えは100年以上経った今も出ていなのであろう。

HONZより転載
スポンサーサイト

『コカイン ゼロゼロゼロ』あまりにも凄惨な現実



コカインという白い薬物をめぐる本書は凄惨な事件から始まる。それはキキの物語だ。

キキの物語を語るには、まずこの男のことを知らなければならない。ミゲル・アンヘル・フェリックス・ガジャルド、通称〈エル・バドリーノ〉はメキシコで「コカインの帝王」と崇められた男だ。今も〈エル・バドリーノ〉の時代もコカインの一大生産地はコロンビアだ。しかし、コカインの大量消費国アメリカにコロンビアは遠すぎる。また当時、コロンビア国内ではカリ・カルテルとメデジン・カルテルがコカインの密売ルートの支配をかけて抗争を繰り返し、力を失いかけていた。さらにメデジンの伝説的な首領パブロ・エスコバルは米連邦捜査局(FBI)の買収に手間取り、膨大な量のコカインを摘発され、窮地に立たされていた。

エスコバルは、アメリカとの国境線を支配する〈エル・パドリーノ〉に助けを求める。二人は意気投合し、共にビジネスを始める。警察官から転身し、既存のカルテルのボスを次々に潰して、強大なカルテルを作り上げた〈エル・パドリーノ〉は強かに理解していた。商品の流通経路を支配する者が、いずれは生産者を陵駕することを。かくして〈エル・パドリーノ〉は帝国築く。

〈エル・パドリーノ〉の側近、カロ・キンテロは一人の有能な刑事と親しくなる。それがキキだった。彼がアメリカとの国境沿いの町まで荷物を滞りなく運ぶよう手配する。カルテルはキキの手腕に大きく依存するようになり、キキは〈エル・パドリーノ〉やカロ・キンテロから厚い信頼を勝ち取る。しかし、次第に警察や軍から激しい襲撃や押収を受けるようになる。警察や政治家をも買収していた〈エル・パドリーノ〉は困惑する。これらの一連の事件には米麻薬取締局(DEA)の影がちらつく。情報が漏れている。組織の中にネズミが紛れ込んでいるのではないか。〈エル・パドリーノ〉は徹底的に裏切り者を探し出す。

遂にその時がきた。キキの正体がばれたのだ。DEAの潜入捜査官であったキキは拉致される。彼に加えられた拷問は凄まじかったようだ。鼻をへし折る事から始まり、睾丸に導線を繋ぎ電気ショックを与える。頭にビスをねじ込み、焼けた鉄の棒を肛門から直腸に刺しこむなど、凄惨を極めた。〈エル・パドリーノ〉に報告するために拷問の音声がテープに録音され残されていた。あまりの惨さに、この証拠テープを最後まで聞けた裁判官はおらず、一部を聞いた裁判官たちも何週間も不眠に悩まされたという。

キキの正体を漏らしたのは、メキシコ警察の警官であった。〈エル・パドリーノ〉はメキシコ政府高官をも買収し味方につけ、アメリカの追及をかわしていく。

〈エル・パドリーノ〉はその後も帝王として君臨したが、その帝国を配下のカルテルに分割統治させることにする。そして自身はその力のバランスの上に皇帝として君臨するつもりであったという。しかし、その構想は実現しなかった。仲間を殺されたDEAはあきらめなかったのだ。〈エル・パドリーノ〉は、今は刑務所の中だ。
絶対的な支配者を失ったメキシコの麻薬カルテルは〈エル・パドリーノ〉が編み出したビジネスのシステムを継承しながらも、麻薬流通の支配権をめぐり抗争を繰り返すようになる。メキシコ麻薬戦争の始まりである。

著者はコカインに関わる人物の人生を丹念に描くことにより、国家権力が薄弱な世界でどのような力が台頭し、どのようにそれらが振る舞うかを描き出す。

戦いは白熱し、ついには軍の特殊部隊員の一部がロス・セタスというカルテルを結成するにいたる。麻薬戦争は単なるチンピラの抗争ではなく、凄惨なプロの殺し合いへとエスカレートしていく。さらには市民を無差別に殺傷し、恐怖による絶対支配を確立していく。その様子を読むと背筋が寒くなると同時に、マックウェーバーの“国家とはある一定の領域内部で正当な物理的暴力行使の独占を要求する人間共同体である”という言葉の意味を改めて噛みしめてしまう。

また、軍の特殊部隊のメンバーを中核とするセタスなどのカルテルに兵力を供給しているのがグアテマラの特殊部隊「カイビル」だ。グアテマラの内戦の際に設立されカイビルの残虐さは、現役の特殊部隊員でさえ戦慄を覚えるほどだという。

グアテマラに平和が訪れ際に、軍では大幅な人員削減が行われた。その際にカイビルの隊員の多くが軍を去ることになる。だが、職業人として最も貴重な青年時代を、殺戮マシーンとなるよう訓練され、数々のレイプや拷問、大量殺戮を繰り返してきたカイビルの隊員たちは、除隊後に、ありふれた市民生活などできるはずもなかった。

著者は「残虐性は習得されるものだ」と喝破する。人間性を捨て去るよう訓練され、残虐性を習得した元カイビルの兵士たちは、新たな戦場を求めた。一部は麻薬戦争に身を投じ、メキシコの大地を血で染め、ある者はアメリカの民間軍事会社に雇われ、中東で殺戮を繰り返す。民間軍事会社の件は、作品社から出版された『ブラック・ウォーター 世界最強の傭兵企業』に詳しいので、興味のある方はそちらをお勧めする。

本書の後半はイタリアを中心に、西欧の麻薬ビジネスを仕切る犯罪組織ンドランゲタと、彼らと中南米のカルテルを取り持ち、国際的な麻薬密売網を築きあげる、2人の麻薬ブローカーの物語へと軸足を移していく。

キキは気づいていた。エスコバルや〈エル・パドリーノ〉が築き上げた帝国とビジネスモデルは、かつてのギャングやマフィアとは違うという事を。それはまさに闇のグローバル経済とも呼べる、もうひつの地球規模の経済活動だ。私たちとて、この経済に無縁ではない。大量の資金が、この闇の経済から、表の経済にマネーロンダリングを介して流れ続けている。大手銀行ですら、この血と白い粉にまみれた金を、それと知りつつも黙認し、表の経済に流しづけているのだ。世界の経済は、もはやコカという植物から生み出される、白い原油なくしては回らないと著者は言う。

国家による暴力の独占の失敗から生まれた麻薬カルテルは、国家の中の国家と化し、訓練された残虐性を行使し社会を支配する。そして、その金が先進国経済の原動力となっている姿を知ると気分が沈み込む。

なぜなら、本書の前半では、いくつものカルテルがらみの残虐事件が、鼻孔に血の匂いがこびり付く感覚におそわれるほどの、巧みな文章で描写されているからだ。(バスを襲撃したセタスが乗客に剣闘士ばりの殺し合いを強制し、勝ち抜いた者を強制的に構成員する。あるいは、麻薬撲滅活動をしていた神父の手足の指と性器を切り取り、本人に食べさせた。など、悲惨な話が山のように記載されている)私たちは彼らの血だまりの上に立っている。しかし、だからこそ、私たちはこのシステムから目を逸らしてはいけないのだろう。

エスコバルと〈エル・パドリーノ〉が80年代に築き、運用したシステムは今の私たちの社会を大きく規定している。著者はその影響は、レーガンとゴルバチョフの推し進めた政策より大きいと言いきる。この社会の深部に広がる闇を是非、本書で確認して欲しい。

HONZより転載

『切り裂きジャック 127年目の真実』DNA鑑定を駆使して伝説のシリアルキラーを追え!



切り裂きジャックというシリアルキラーが存在した。127年前のイギリスに。この殺人犯の呼び名は映画や文学作品といった大衆娯楽の中にたびたび登場する。世界的に最も有名な殺人犯と言っても過言ではないだろう。しかし、自らの記憶を手繰り寄せてみると、この殺人犯が127年前にどのような殺人事件を起こしたか、明確に説明できるような知識が何一つ無いことに気づく。私に限らず、そのような人は多いのではないだろうか。

イギリス人である本書の著者ラッセル・エドワーズも若い頃は、この殺人事件について何も知らなかったという。本書は切り裂きジャックという存在に憑りつかれた一人の企業家が、被害者の物とされるショールを手に入れ、数々の困難を乗り越えながら、科学者と協力しDNA鑑定を行いショールの由来と切り裂きジャックの正体をつきとめようとした日々を、自身で記録した回想禄だ。

当時のイースト・エンド、ホワイトチャペルを震撼させた一連の殺人事件は1888年の4月から始まる。娼婦7人が次々と切り刻まれ殺された。このうち最初の2件の殺人は当時から、後に「切り裂きジャック」と呼ばれる連続殺人犯とは別の事件と考えられている。現在でも研究者の多くの見解は当時と変わらない。3件目からの7件目までの事件を「公式の5件」としている。ただし著者は、2件目の犯行は切り裂きジャックのものではないかと独自の見解を本書で述べている。

シリアルキラーの例に漏れず、この犯人もその犯行をエスカレートさせていく。公式の5件の最初の被害者メアリー・アン・ニコルズ(42歳)は喉を2度切り裂かれ、みぞおちから足の付け根まで、ぎざぎざに切り刻まれ、性器にも刃物による刺し傷があつたという。ただし、殺人犯は絞殺か首を絞め、意識を失わせた後に体を切り刻んだようだ。これはこの犯人の共通する手口だ。この「慣らし殺人」ともいえる殺人を終えた後、犯人は死体解体を行い始める。体中を切り刻み、内臓を引出し、部位ごとにまとめて現場に置く。さらにその一部を持ち帰るようになる。しかも、この様な解剖を5件の内、4件は公共の場所で行っているのだ。その鮮やかな手並み故に当時から医療関係者が犯人ではないかという憶測を呼ぶことにもなる。

劇場型犯罪の始まりだ。当時、急速に発展したメディアの影響もありロンドン中の耳目がこの殺人事件に集中する。本書の主要な趣旨ではないが、犯罪と報道という観点からも切り裂きジャックの事件を見る事が出来る。当時、どのような報道合戦が繰り広げられたかを、著者は丹念に追っている。ちなみに事件が起きた当時、犯人は「切り裂きジャック」ではなく「レザーエプロン」と呼ばれていたという。犯人のレザーエプロンはユダヤ人の靴職人だという噂が流れていた。

当時、ロシアの迫害を逃れるために多くのユダヤ人がロンドンに流入し、その多くが貧困街のイースト・エンド界隈に住み付き、社会問題化していた。彼らは貧しく、わずかな金銭で辛い労働にも耐えたため、もともと住んでいたイギリス人の貧困者から仕事を奪っていた。イースト・エンド界隈には大挙して押し寄せる、ユダヤ人への増悪が高まっていた。世論は犯人をユダヤ人に仕立てあげようとする気分に満ちていた。それを、マスコミが煽り助長していたのだ。

しかし、レザーエプロンの名は廃れる。きっかけは新聞社届いた一通の手紙だ。当時、犯人を名乗る手紙が、警察やマスコミに多数届いていた。その一通に「切り裂きジャック」と署名してあり、これが爆発的に広がる。しかし、その後に主要マスコミに次々と送られてきた「切り裂きジャッック」を名乗る手紙は、マスコミの自作自演であったことが、後に判明しているという。

著者は被害者たちにもスポットライトを当てている。歴史上の無名な人々は、時としてただの記号のように扱われてしまいがちだ。しかし、彼女たちにも間違いなく人生があったのだ。著者はなぜ彼女たちが転落の道を歩んだのかを、少ない記録を読み込み、現代の私たちの前に再現させている。ビクトリア朝時代の貧困問題、アルコール中毒、結婚の失敗、あるいは夫に先立たれた貧しい未亡人へのセーフーティーネットの欠如。様々な問題が浮き彫りになる。一晩4ペンスの簡易宿のベッド代を稼ぐため、彼女たちはたった4ペンスのはした金で売春をしていたという。

実は著者は今でこそ企業家として成功しているが、青年の頃に転落の人生を歩み、一時期は路上生活者だったという。ほんの些細なボタンのかけ違いで、人生はあっという間に転落していくという事を、身を持って体験しているのだ。

さて件のショールだ。本書の注目は科学的根拠に基づき犯人を追いつめるものだ。本書のレビューであるならば、ここは念を入れて書き込みたいのだが、この最も重要なミステリーの部分のネタばれを起こしてしまいかねないので、あえて簡略的に記すことにする。4件目の殺害現場に駆け付けた警察官が持ち帰り、一族が保管していたこのショールは間違いなく本物であった。

実はこのショールについては、専門家の間でも偽物とする意見が強かったのだ。しかし、ショールに付いていた血液からDNAを抽出。そこからミトコンドリアDNAの増幅に成功し、キャサリン・エドウズの女系の子孫カレンのミトコンドリアDNAと比較した結果、2つのmtDNAが一致したのだ。このショールの血痕とカレンのmtDNAには「グローバル・プライベート・ミューテーション」と呼ばれる配列変化があり、これはある特定の家系や集団でしか見られない遺伝子変異だという。カレンとショールの血痕から見つかった変異の保有率はわずか0・000003506、なんと世界人口の29万分の1の人しか持たない物であるという。

そしてショールにはもう一つ、精液とみられるシミが残っていた。そこから精液のDNA抽出へと進む。著者は調査の過程で、スコットランドヤードが当時、犯人を特定していたことを知る。切り裂きジャックの犯行を唯一目撃した人物が面通しで犯人を特定したにもかかわらず、まぜか裁判での証言を拒否したのだ。このため男を逮捕し起訴することができなかったというのだ。

著者はスコットランドヤードが犯人と特定した人物の子孫を探し当て、そのDNAを採取することにも成功する。精液のmtDNAとこの男の子孫のmtDNAは一致する。スコットランドヤードの公式見解は正しかった。犯人はこの男なのだ!

後半はミステリー小説を読むような感覚で貪るように文字を追った。だが、このミステリーにピリオードが打たれる日は無いだろう。だれもそれを望んでいないのではないか。謎は、永遠に謎のままに。私たちはそれを望んでいるのかもしれない、犯人を特定したという興奮の中でも、フッとこのような思いにかられながら本を閉じた。

HONZより転載

『ヒトラーランド』簡略化されたプロットを剥いだ先に見える物とは?



後世の人間が歴史を見るとき忘れがちなことがある。それは自分たちが神の視点を持っているということだ。私たちが過去を眺めるとき、複数の点でしかない出来事が、やがて一本の線となり繋がっていくさまを、俯瞰的に眺める事ができる。私たちは往々にしてそのことに気づかないものだ。だが、考えてみれば、今を生きる私たちが、いま起きている政治的決断や紛争がどのような帰結を迎えるのかを知ることが出来ないように、当時を生きた人々も、自分たちの決断や、リーダーの行動がどのような終焉を迎えるのかを知ることはできないのだ。

著者の言葉を借りれば、「ヒトラーは悪の権化といった、抽象的な存在ではなく、現実にいる政治家」だったのだ。本書はヒトラーとナチスの台頭を当時の人々の視点で、それもドイツ人ではなく、在独アメリカ人の視点を私信、著作、記事などを丹念に読み込むことで紐解いていこうとする意欲作だ。

1920年代のベルリン。アメリカ人はこの街で、良き勝者として、多くのドイツ人に歓迎されていたという。このように友好的なドイツ人に接することにより、当時の在独アメリカ人記者たちは、敗者のドイツ人に同情し、共に戦ったフランスに対し、むしろ批判的であったようだ。

ハースト社の名物記者で早い段階からヒトラーに注目していたウィンガードは1922年11月12日付けの〈ニューヨーク・アメリカン紙〉に「人を惹きつける力のある弁舌家で、組織をまとめあげる能力に恵まれた人物」、「私がここ数カ月のあいだにあった人々のなかでも、とくに興味を惹かれた人物」だと書いている。またアメリカの官僚で最も早い時期にヒトラーと面会をした駐在武官のトルーマン・スミスは「とてつもない扇動政治家だ。あれほど理論的かつ狂信的な男の話は、めったに聞けるものではない。彼が民衆に与える影響は計り知れない」とノートに書き記している。このように、駆け出しの頃のヒトラーに魅せられた人物は他にも大勢いる。

また意外な事にヒトラーは女性たち虜にすることに長けていたようだ。記者のルイス・ロックナーは1935年にゲッペルス夫妻が開いたレセプションで「一度ヒトラーの目をじっと見つめたら、もう永遠に彼の熱心なファンになってしまうわ」という女性たちの会話を耳にしている。またドイツ人男性と結婚したアメリカ人女性の多くが熱心なナチ党員になっていたようだ。

その一方で、トルーマンの証言では当時ベルリンに駐在していた外交官はほぼ一様に国家社会主義党は「取るに足らない存在であり、指導者のアドルフ・ヒトラーは教養のない狂人」だと考え、軽視していたという。このような、考え方をしていた人物は他にもいる。テキサス出身の記者ニッカーボッカーは1923年にヒトラーを初めて見たとき、そのあまりの滑稽さに「まるで馬鹿にみたいだ」という印象を受けたという。彼は急速にナチスが台頭しだした1930年代に入ってもヒトラーよりもムッソリーニの方が大物だと考えていたようだ。このような感想を持った人も意外に多く、ヒトラーは大物か雑魚なのか判別しがたい人物であったようだ。

驚くことに反ユダヤ主義を掲げたナチ党が急速に躍進し、ユダヤ人への暴力事件が増加の一途をたどる30年代になっても、ユダヤ系ドイツ人たちの危機感は薄かったようだ。エドガー・マウラーは1932年にアルンホルトというユダヤ人銀行家の自宅で行われた夕食会で驚くことを体験する。なんとその場にいたユダヤ人たちが、ヒャルマー・シャハトなど非ユダヤ系の財界人に頼まれて、ナチ党に献金していることを自慢げに話していたという。アルンホルトは「やつらは口先だけだよ」と言ったという。このようなエピソードが歴史の闇の中に消えてしまった、当時の人々の心理を蘇らせてくれる。

ヒトラーを金で従属させようとしたシャハトにしろ、自らの政治力でコントロールできると考えていたパーペン首相やシュライヒャーにしてもヒトラーを甘く見ていたという点では同じだろう。彼らはその代償を払わされる羽目になる。ヒトラーが政権を獲得したのちに行った粛清劇「長いナイフの夜」事件においてパーペンは痛めつけられ、その後はヒトラーの走狗と成り果て、国際的な信用を失う。シュライヒャーにいたっては夫人もろとも処刑されてしまう。

次第に暴力的な側面を強めていくナチ党に危機感を募らせていくアメリカ人記者たちも、難しい課題に直面する。独裁政権との距離をどう保つのか。ナチの言論に対する介入にどのように対処していくのかという問題だ。また、ナチの真の危険性をアメリカ本国の人々にどうしたら伝えられるのかという問題にも直面する。旅行で訪れるアメリカ人やドイツをアメリカから眺めるだけの多くのアメリカ国民は、整然として規律正しいドイツを好意的に受け止めるていたのだ。

また在独外交官たちはヒトラーのユダヤ人政策が、過激派支持層を抑え込むためのパフォーマンスなのか、ヒトラー自身が本気でユダヤ人差別に取り組んでいるのか判断しかねていたという。むしろ希望的観測に基づき、ヒトラーがやがて、この問題を上手く軟着陸させるのではないか、と考えていた者が多かったようだ。

ヒトラーが行った行為の重大さ故に、私たちはナチ党と当時のドイツ人のことをあまりにも単純化したプロットとして認識してしまいがちだ。本書はそのような記号化された、プロットというベールを在独アメリカ人たちの細かいディテールを丹念に積みかさねる事により、見事にはぎ取っていく。ページ読み進める事により、一枚、また一枚と記号化されたベールが剥がされていくとき、最高の知的興奮を覚える事ができる。

また近年、国内外を問わず世界中に蔓延する、ヘイトスピーチの危険性にも気づかせてくれる。ヒトラーの行為は許されることではないが、彼は間違いなくカリスマ性を備えた人物であった。このような男が、現代の人種差別活動家たちの中に潜んでいないと、誰が断言できるであろう。たとえ彼らが「口先だけ」に見えても「馬鹿」に見えても、決して油断してはならない。また特定の民族を愚かな人間として扱い、その人格を非人間化するような人々に絶対に協力してはいけない。忘れてはいけない、沈黙も彼らの味方だ。本書は沈黙がいかに彼らに利するかという事も教えてくれる。「ヒトラーランド」は決して遠い世界の話ではない。

HONZより転載

『イスラム国 テロリストが国家をつくる時』国民国家の溶解

本書を読むまで私はイスラム国が数多くあるジハード集団のひとつだと勘違いしていた。今、中東でおきている出来事を理解する上で、間違いなく本書は読んでおくべき一冊だ。

まず驚かされることは、イスラム国は自爆テロ一件ごとの費用にいたるまで詳細に記録し、高度な会計技術を駆使した、収支報告書を作成しているという点だ。無論、過去にも「テロ」という行動を巧みに使い、経済的に成功してきた武装組織は存在する。PLOなどもそのひとつだろう。

しかし、彼らがこれらの武装組織と違う点は、シリア内戦の混乱を利用し巧みに経済的な自立を果たした点にあるという。多くのテロ組織は複雑な国際関係の中で、いずこかの国々から経済的な援助を受け、いわゆる代理戦争の「駒」として行動している。当初はイスラム国もそのような組織のひとつだったのだが、彼らは援助された資金を、援助国が望む勢力の攻撃に使用せず、自らの国家建設のために使用していたという。

彼らはシリアの正規軍との戦闘を避け、装備が貧弱なその他のジハード集団が支配する油田地帯を次々に攻撃、支配することにより、いち早く経済の自立に漕ぎつけている。アルカイダ系の組織も含め、多くのテロ組織がある種のロマンティシズムに酔って、代理戦争の駒として様々な国に利用されているのに対し、イスラム国は徹底的なリアリズムを行動原理にしているようだ。

アルカイダは中東からあまりにも遠い、アメリカを相手に第二戦線を開いたことが失敗だと著者はいう。一方で、イスラム国はスンニ派サラフィー主義による、カリフ制国家建設という行動目標を定め、明確な領土的野心を持ち、主敵をシーア派及び、彼らの主張に賛同しないその他のスンニ派組織に定めている。

ただし、厳格主義を標榜しつつも、彼らは、ただの狂信者ではないようだ。タリバンなどが狂信的なイスラム主義により、音楽やダンスといった娯楽まで禁止し、ポリオワクチンなどに懐疑的な意見を述べていたのに対し、イスラム国は支配地域の子供たちにポリオワクチンの接種を行うなど、近代技術の導入に積極的なのだ。また彼らは軍事部門と非軍事部門が明確に分かれ、支配地域のスンニ派住民のコンセンサスを得ようと、行政組織としても、うまく立ち回っているという。戦争や内戦で破壊され、復旧されることのなかったインフラが彼らの手で再建されているのである。

イラク、シリアのスンニ派住民は、長い混乱の中でついに頼もしい政治勢力が台頭してきたと感じているという。イスラム国が目指すカリフ制国家とはタリバンなどが夢見た、中世的な世界ではなく、近代国家たらんとする意志が感じられるというのである。

しかし、近代国家を目指す彼らが、なぜシーア派住民の虐殺を繰り返すのであろうか。そもそも彼の虐殺を正当化している理論に、タクフィール(背教者宣告)があるという。これは第三代正統カリフ、ウスマーン暗殺の前年、六五五年に勃発したムスリム同士の第一次内乱に端を発する。預言者の直系であるアリーを支持するシーア派が、スンニ派が支持するウスマーンを背教者とみなしたのだ。これ以来、彼らはお互いに背教者宣告を繰り返してきた。

物質世界と神秘的世界が不可分に絡み合うイスラムの世界では背教者であることは、政治的な攻撃材料となる。ただし、もともと背教者宣告は宗共同体から異教徒を排除するのが目的であり、必ずしも絶滅が目的ではない。タクフィールをシーア派の根絶という目的に再定義したのは初期の指導者アル・ザルカウィであるという。イスラム国は13世紀にモンゴル人により行われた、バクダット侵攻という歴史を巧みに利用している。実はモンゴル人を手引きしたのが、シーア派の高官であったのだ。アメリカ軍と手を組むシーア派をかつての歴史とダブらせることにより、シーア派を外国勢力と手を組む背教者として位置付けているのである。

これらのロジックを見ると宗教戦争のように思えるが、そうではないと著者はいう。実はこの背教者宣告はイラク、シリア、その他の中東で内戦を誘発する目的で使われているという。地域での宗教対立が深まれば、イスラム国はその隙間に入り込み、自身の領土と政治的地位を確立できるのだ。つまり現実的な政治闘争での戦略としての側面も持っている。また殺したシーア派の財産を兵士に分配できる上に、浄化された領土では宗教的な対立が緩和され、統治の安定にもつながるという理由もあるようだ。

彼らはかつて大規模な民族の抹殺を目指したナチスよりも柔軟だ。ナチスはユダヤ人をユダヤ人であるという理由で抹殺したが、イスラム国はスンニ派サラフィー主義に改宗する者は殺さないという。また、外国人もジズヤという、非ムスリムに課せられる人頭税や身代金を払えば解放される。国家建設という目標のために冷徹に計算された行動をとっているのだ。

このように本書の内容を読んでいくと、私たちはイスラム国の本当の脅威を見誤っている可能性を感じる。近代的な国民国家は、アーネスト・ゲルナーによれば、工業化された社会と工業化された社会を運用するために、施された画一的な教育の基に形成されたと論じている。もともと、それほど工業化されていない中東地域では、列強が持ち込んだ国民国家という概念を欧米の支援を受けた独裁者が力によって維持してきた側面があるように思う。それがいま、急速に溶解、または変容しているのではないか。先進諸国などでも、IT革命がもたらしたグローバリズムにより国民国家の存在にある種の揺らぎが見られる今、彼らは宗教共同体による、新しいタイプの近代国家を目指しているのだ。

だとすれば、これは歴史を創る行為なのかもしれない。たとえ、それが私たちの大義と相いれない物であったとしてもだ。若いムスリムたちが惹きつけられる点もここに存在するのではないか。彼らが成功するかどうかはわからない。しかし、スンニ派サラフィー主義さえ受け入れれば新国家の構成員になれるという概念には間違いなく普遍性が存在する(たとえ浄化という行為があったとしても)。イスラム国は揺らぐ欧米型の国民国家に対し、まったく新しい挑戦状を叩きつけているのかもしれない。私たちがこの疑似国家への対応を誤れば、大量の浄化という行為の果てに、本当に今までの国家間の理論の通用しない「国家」が誕生してしまうかもしれないのだ。もし、そうなれば、後に続こうとする者たちが、様々な地域で台頭してくるだろう。解決困難な難題がいま生まれつつある。

HONZより転載

『ドイツ・アメリカ連合作戦』協力といがみ合い



もし、あなたがタイムマシーンに乗って時間を旅する旅行者ならば、第二次世界終結目前の1945年5月5日、オーストリアのチロル地方にあるイッター城で奇妙な戦闘を目にすることが出来るだろう。この日、この時、こじんまりした城に籠る小さな混成部隊は、まるでフィクションの中の出来事にしか思えないメンバーで構成されていた。この城を陥落させるため、激しい攻撃を仕掛ける武装親衛隊と戦っていたのはアメリカ軍兵士とドイツ国防軍兵士、武装親衛隊将校、オーストリア人レジスタンス、そして本来は救出されるべき対象者であったフランス政府の要人たちだ。

ヒトラーは占領した国々の要人を連合国と交渉する際のカードとして使えるのではないかと考え、逮捕し名誉囚人として拘禁していた。本書はその名誉囚人を救出するために行われた「奇跡」の作戦、イッター城の戦いを描いたノンフィクションだ。なぜ奇跡なのか。それはつい昨日まで敵同士であったアメリカ兵とドイツ兵がひとつの目標のために信頼しあい、共に手を携えて狂信的な武装親衛隊と戦った戦記なのだ。

オーストリアのチロル地方にある古城イッター城はその地理的要因からナチにより、名誉囚人専用の捕虜収容所にされていた。この城を捕虜収容所に改良させたのは、親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーであったという。この城はアンシュルス以後、「タバコの害悪と戦う同盟」というヒトラーが支持していた団体の本部であった。

ヒムラーがヒトラーを説得し、捕虜収容所として親衛隊に収用させたという。本筋から外れた小さなエピソードだが、まるで聖職者のように禁酒、禁煙、菜食主義に凝っていた、この独裁者の不思議な人間性が少し垣間見えて面白い。

イッター城で不遇の名誉囚人となっていたフランスの囚人は11人。その顔ぶれたるやそうそうたるメンバーである。では幾人かの囚人たちを見てみよう。モーリス・ガムラン将軍は第二次世界大戦当初、フランス陸軍の総司令官を務めた男だが、無様な対応に終始し、フランス首相ポール・レノーによって解任させられた経歴を持つ。

なんと皮肉なことにガムランを解任したレノーもイッターの囚人として収監されている。さらに、軍人としてガムランのライバルであり、個人的にも敵対していたマキシム・ヴェガン将軍もイッター城に収監されていた。彼はガムランが解任された後に、その後任を務めている。ヴェガンはドイツとの早期講和を主張し、ペタン率いる対独協力政府の国防相に就任していた人物だ。当然、売国奴として他の囚人からは嫌われることになる。さらに、レノー元首相の前任者で彼の不倶戴天の政敵である、元首相のエドゥアール・ダランディエも収監されていた。

他にも左翼の大物運動家、フランスの労働運動指導者レオン・ジュオーとそのパートナー、オーギュスタ・ブルシュレンといった人材。また、右派のフランソワ・ド・ラロックは対独協力政府の重鎮であり、フランスの大物ファシストで「火の十字団」の指導者でもあった。実はラロックはイギリス情報部に重要な情報を提供していた、連合側のスパイでもあったという。そして同じく「火の十字団」のメンバーで、フランスを代表する名テニスプレーヤーでもあったジャン・ボロトラなどだ。

本書で実に多くの紙数を使って彼らのエピソードが綴られている。というのも、この海千山千の男たちは囚われの身になった後も、同じフランス人とし協力し、難局を切り抜けようとすることなく、収容所内で党派を組み戦前の敵対関係を再現していたのである。その姿はどこか滑稽であり、人間の性を見事なまでに浮き彫りにしている。現代にシェイクスピアが生きていたならば、彼らを題材に一つの戯曲でも作ったのではないかと想像してしまうほどだ。

戦争の敗因には様々な要素が関係しているとはいえ、国内の指導者がイデオロギーや己の利己心を優先し、協力しあえなかったことが、フランンス敗北の原因のひとつであることは、間違いないであろう。このあたりのいきさつは当時、フランスが敗れる現場に将校としていあわせた作家のアンドレ・モーロワの著作『スランス敗れたり』でも述べられている。

つい、フランス要人たちの話が長くなってしまった。この救出作戦の最大のキーを握る人物はドイツ国防軍の砲兵将校のヨーゼフ・ガングル少佐とアメリカ軍の戦車部隊の将校ジョン・ケアリー・リー・ジュニア大尉。そして親衛隊将校のクルト=ジークフリート・シュレーダー大尉だ。

食うために軍人になり、その才能を開花させ、上官から「完璧な砲術知識を持つ」「交戦中も落ち着いている」と評価され数々の勲章を授与された、優秀なドイツ国防軍少佐のガングルと、少年の頃から国粋主義にどっぷりとつかり、自ら進んでSSとしての道を突き進んだシュレーダー大尉がいかにして、反ナチ的な行動をとるようになったのか。悲惨な戦争経験が彼らの心に思いもよらない変化を生んだのだろう。一無名兵士がどのような人生を歩み、どういった決断を下したのかも、本書の見どころだろう。

そして、投降を拒み先鋭化する武装親衛隊の支配地域へと、わずかな数の兵を率いて乗り込み、自身が指揮するアメリカ兵よりも数が多いガングル達ドイツ兵を信じ、その指揮を執ることになったリー大尉が果敢に運命を切り開いていった、その姿を是非、本書で追体験して欲しい。

それにしても、ドイツの将校とアメリカの将校がお互いの憎悪や相互不信を乗り越えて協力しあえたというのに、救出されたフランンス政府要人は、戦後に回想録を出版し、その中でこの時の出来事をネタに政敵を攻撃しあっていたという事実に愕然とさせられる。人間の内面世界には、協力しあうという崇高な精神と憎み合うという、どす黒い情念が常にせめぎ合っているのであろう。人間の光と闇、崇高な精神と滑稽な姿を本書を通して改めて見せつけられた。

HONZより転載
プロフィール

後白河

Author:後白河
1978年愛知県生まれ。10代の頃は中学3年で登校拒否、高校中退、暴走族の構成員とドロップアウトの連続。現在は自動車部品工場に勤務。気がつくとなぜかHONZのメンバーに。趣味は読書、日本刀収集、骨董品収集、HIPHOP

成毛眞氏が運営するHONZというオススメ本紹介サイトでレビューを書いています。
http://honz.jp/



フリーエリア
フリーエリア
月別アーカイブ
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
フリーエリア
ブロとも一覧

爽快!読書空間
フリーエリア
リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード