『イスラエル情報戦史』汝の敵を知りたくば、汝の敵の詩を読め



書店で見かけた本書の帯にはこう書かれている「イスラエル政府公認の初の資料!」と。

建国以来、常に近隣の国々と緊張関係にあり続けたイスラエルは、特異な歴史性から、その国家規模に比して驚異的な能力を持つ諜報機関を持つにいたった。IDI(イスラエル国防軍諜報機関アマン)、IDA(イスラエル治安機関シャバック)、そして対外諜報担うモサド。これらの組織は映画やドラマ、小説などの娯楽作品にいくども登場し、私たちに非日常の世界を疑似体験させてくれる。

しかし、娯楽作品やゴシップネタとして、その名前を頻繁に目にするこれらの組織の実態や歴史を知る機会は意外に少ない。そもそも諜報機関はその存在と活動が衆目に晒されることを嫌う。しかし、インターネットの発展とともに知る権利という概念が急速に発展する現代において、そのすべて覆い隠そうとすれば、かえって人々から奇異の目で見られ、根も葉もない憶測や疑惑を広める事になってしまう。

そんな時代背景もあっての事だろうか、イスラエル政府は退職した諜報機関のオフィサーたちに自らの体験を公にする許可を与えたのだ。無論、本書で語られていることは現段階で公にできる範囲の事に限られている。だが、諜報機関の重職を担ってきた者たちの手によるイスラエルの諜報戦の失敗、成功、そしてその歴史を綴った小論文集はこの上なく知的好奇心を掻き立てる。

イスラエルには上にも記したように3つの情報機関が存在する。IDIはイスラエルのインテリジェンス・コミュニティーの中で最大の組織で、国家情報分析に責任を持つ。通常の国ではこの分野は文民組織が行うという。IDI長官は首相と内閣のインテリジェンス・オフィサーだが、首相直属のモサドやISAとは違い、参謀総長と国防相に隷属しているという。

イスラエルで最も有名な諜報機関モサドは主に、海外で情報収集、敵の非通常兵器の獲得の阻止、テロリストによるイスラエルまたは海外のユダヤの標的に対する攻撃の阻止、海外での特殊工作などに従事している。またISAはテロ攻撃および防諜を主任務にいる。この二つの組織の長官は首相に直属している。

ちなみにスパイには関係否認の原則があるという。諜報部員には何らかの法的あるいは公式な立場が与えられていないという。よって現行犯で逮捕されたスパイには国際法や習慣に基づく特権を享受することが出来ないという。彼らは戦時捕虜ではないので、いかなる斟酌も保護も主張できないのだ。外国に自国のインテリジェンス・オフィサーが逮捕されている事実を政府が否定し続けると、逆に早期釈放される可能性が高まるという。これは世界中の諜報機関が採用する原則なのだそうだ。

またモサドにいたっては組織そのものを規定する法律が存在しないという。国内の治安を担当するISAには組織の地位を規定する法律が存在するが、国外で秘密工作などを行う、モサドにはそのような法的な規定はない方がよいという事らしい。

ちなみにインテリジェンスと法律の問題ではある種のジレンマが存在する。犯罪組織やテロ組織にエージェントを潜入させれば、潜入したエージェントは組織から違法行為への参加を迫られる。違法行為に手を染めなければ、エージェントは組織内のヒエラルキーを登ることが出来ず、貴重な情報へのアクセス権を得られなくなってしまう。法治国家であり民主国家であるイスラエルでは、そのようなケースがどこまで許されるのだろうか。エージェントを指揮するハンドラーは常にジレンマに悩まされる。

実際にラビン首相暗殺事件を調査していたシャムガール委員会がISAのエージェントの問題点を指摘している。彼らは自分たちには法律は適用されないと考え、重罪を犯していたケースが見られたと報告しているのだ。
ところでユダヤ人の諜報の歴史は聖書まで遡る事ができるという。聖書の中ですでにスパイに関する話が書かれているのだそうだ。諜報と敵対する相手の神話と文化を読み解く行為でもあるのだ。「有能な諜報員は詩を読まなければならない」とIDI上級将校シャイ・シャブタイ大佐は述べている。

エジプトの高名な画家エル・フセイン・ファウズィとイスラエルの詩人が語り合ったとき交わされた会話だ。「六日戦争であなた方はわれわれに屈辱を与えました。
(中略)もしイスラエルの諜報機関が1967年以降に書かれた詩を読んでいたならば、1973年10月の戦争は避けられないこととわかったであろう」と。そしてイスラエルの諜報機関はエジプト人の詩を読んでいなかった。そして、それは今の日本にも当てはまる事なのかもしれない。

1973年10月の戦争とはヨムキプール戦争の事である。この戦争はイスラエルのインテリジェンス・コミュニティー最大の失策として真珠湾攻撃やバルバロッサ作戦などとも比較させられる事件だ。戦争が始まるいくつもの兆候がありながらイスラエル最大の情報組織IDIがエジプトの真の意図を理解することに失敗し危機的な状況に見舞われたのだ。

戦争前には、ラマダンの期間中の兵士たちにエジプト陸軍が食事をとるよう命令を出していたという。だがイスラエルの分析官はこの命令が何を意味するか汲み取ることが出来なかった。文化に対する理解不足が原因で貴重な情報を見逃してしまったのだ。

その他にも本書では様々な歴史的事件の際にイスラエルの諜報機関がどのように動き、なにが成否を分けたのかという分析が様々な方面から分析されている。失敗という厳しい現実からも目を背けずに、常に教訓を道行き出そうという姿勢こそが、この国の諜報機関の強みのひとつであろう。

イスラエルでは、ほんの些細なミスが国家存亡に直結する。現実から目をそらしている余裕はないのだ。甘えることは許されない。その証拠にIDI内部には、あえて多数派の意見に、強固な理論武装を行ったうえで反対意見を提示し続けるデビルズ・アボドケイト(悪魔の弁護人)と呼ばれる、他国では、ちょっと信じられないような組織まで存在するのだ。イスラエルという国家がとる行動と運命から、まだまだ目が離せない。

HONZより転載
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『奴隷のしつけ方』奴隷を中州に捨てるべからず



『奴隷のしつけ方』と衝撃的なタイトルだ。著者はマルクス・シドニウス・ファルクスというようだ。古典なのだろうか。本書を手に取り、パラパラとページをめくると違和感を覚える。マルクス・シドニウス・ファルクスとは何者なのか。記憶の糸を手繰る。しかし、思い出せない。本書の帯には「何代にもわたって奴隷を使い続けてきたローマ貴族の家に生まれる。」とある。書店でスマートフォンを取りだし、検索してみる。ウィキペディアでも見つからない。謎は深まる。

答えを求めてページをめくる。翻訳者のあとがきを読んだとき、謎が解けた。

本当の著者はジェリー・トナーという男だ。解説者として表紙に名前がある。ケンブリッジ大学の古典学研究者のようだ。そう、著者とされるマルクス・シドニウス・ファルクスとは架空の人物だ。本書は古代ローマ帝国時代の奴隷という存在がどのようなものであったかを、架空の人物に語らせ、各章の末尾に本物の著者トナーが解説を加える、という体裁になっている。フィクションでもありノンフィクションでもある不思議な本だ。

このようなスタイルの歴史本は他にもある。ローマ時代のものならばアルベルト・アンジェラの『古代ローマ人の24時間』や『古代ローマ1万5000キロの旅』などだ。日本人の著作ならば本村凌二の『帝国を魅せる剣闘士』といったところであろうか。

本作はマルクス・シドニウス・ファルクスが、奴隷主が心得ておくべき奴隷掌握術を記したマニュアル本という設定だ。奴隷の買い方から始まり、奴隷の解放と解放奴隷の扱いまでが詳しく解説されている。

まず奴隷はフォルム・ロマヌスにあるカストル神殿の裏手にある市よりもサエプタ・ユリアで商売している奴隷商から買う方がよいらしい。ここでは、エジプトの美少年や法律で禁止されている、去勢された少年も買うことが出来たという。どうやら、帝政中期のローマ帝国では去勢された少年奴隷を売買することは禁じられていたようだ。

また当時は「姥捨て山」ならぬ「奴隷捨て中州」とでも呼びたくなる場所が存在したようだ。年老いて労働に耐えられなくなる、または病気で動けなくなった奴隷をティベリウス川の中州に捨てる行為が横行したという。ファルクスはこのような無慈悲な行為に憤りを感じ、かつ奴隷を捨てることは法律違反だと指摘する。クラウディウス帝がこの悪習を禁止させようとしたことが著者より解説さている。ただし、奴隷の待遇改善を考えてではなく、あくまでも治安等の問題のためだったようだ。

ファルクスは奴隷の扱いに正義は必要だとしているが。それは、むろん啓蒙的な意味というよりもファミリアの長としての義務感のようなものである。著者は奴隷に公正な扱いを求めるストア学派的な考え方は、一部の知識人階級の抽象的な考えであり、社会一般にどれほど浸透していたかはわからないという。実際の奴隷の扱いでは行き過ぎた体罰が横行していたようだ。

ファルクスも行き過ぎた体罰はするべきではない、としながらも奴隷が罰に値するような行為を行った際は、主人が誰であるかを知らしめるために、体罰を加えるべきだと主張する。ちなみに彼のお勧めは、請負業者に体罰を代行させるもののようだ。地元の評議会がこのようなサービスを手頃な料金で提供していたらしい。

古代ギリシャは人種差別的な奴隷制度を採用していたが、ローマ社会の奴隷制度は基本的には人種差別的な制度ではない。ローマでは奴隷が解放されれば市民権を得ることができる。ただし、解放奴隷は公職に就くことは許されなかったという。もっとも解放奴隷である事を隠し、公職に就くものが後を絶たず、大きな社会問題ともなっていたようだ。

奴隷の解放の仕方にも様々な問題があったという。主人が寛容さを示そうとして、市民権を得るにはふさわしくない、ならず者たちを大量に解放する風潮があるとファルクスは憂慮している。

また、増え続ける奴隷および解放奴隷が問題視されてもいた。ローマ社会に増え続ける非ローマ人により、ローマの伝統やローマ精神が消失してしまうのではないかという危機感が根底にあったようだ。属州の人々や解放奴隷を巧みに社会に組み込み、社会の流動性を保つことで大きく発展したローマではあるが、増え続ける異質な存在に拒絶反応も見せていたのだ。この点は、現代の移民問題などと照らし合わせて考えても面白い。

その他にも、奴隷女に生ませた子供の待遇や、解放奴隷がなかなか「クリエンテス」としての務めを果たそうとしない、などといった愚痴など、面白いエピソードが随所に散りばめられている。ローマ社会の奴隷と主人という関係は、階級闘争的な二元的世界で見る事はできない。

奴隷たちは早ければ5年ほどで解放される場合もある。そして解放後の社会復帰を多くの主人が手伝った。そのおかげで巨万の富を築くものもいた。だが、それでも奴隷であったときの苦しみは心の襞の奥深くにまで入り込む。奴隷と奴隷主との関係は愛憎が入り混じった複雑な感情の世界だったようだ。本書に書かれた「奴隷の数だけ敵がいる」という言葉はどこまでも意味深んだ。

ちなみに奴隷制度など過去の話と笑う事はできない。フリー・ザ・スレイブスというNGO団体によると世界中で暴力的に支配され、無給で働かされている人々が世界中で2700万人もいるという。奴隷制度は間違いなく、現代社会にも深くその根を下ろしているのである。

HONZより転載

『ナポレオンに背いた「黒い将軍」』革命に咲いた黒い薔薇



18世紀、有色人種とりわけ黒人がその肌の色のみで差別され、奴隷として働かされていた時代に、ヨーロッパで一兵卒から将軍にまで上り詰めた有色人の男がいた。180センチを超える体躯(当時としてはかなり大きい)とハンサムな容貌の持ち主であったという。そして、その美しい肉体の中には常人では及ぶことの出来ない勇敢さと情熱を、また公正で高潔な精神を宿していた。男は自らをアレックス・デュマと名乗っていた。本名はトマ=アレクサンドル・ダビィ・ド・ラ・パイユトリ-という。


彼はフランス人貴族と黒人奴隷の女性との間にできたムラートであった。自由、平等、友愛を謳うフランス革命に共感し革命の擁護者として、その軍事的才能を発揮し敵であるオーストリア兵からは「黒い悪魔」として恐れられた。

デュマは人種的差別が公然と行われていたヨーロッパで白人将兵の指揮をとり、彼らから信頼と尊敬の念を勝ち取っていた。祖国フランスが、肌の色で人間を評価するのではなく、その精神と能力で評価する時代が来ることを求めて彼は闘った。しかし、革命という激流は彼を忘却の彼方へと押し流してしまった。

アレックス・デュマは1762年にフランスの植民地サン=ドマング(現ハイチ)に生まれた。父は貴族の息子であったのだが、砂糖のプランテーションで成功し、大富豪となっていた弟とのいざこざなどで身分を偽ることを余儀なくされ、サン=ドマングの高地に隠れて暮していたという。

植民地のプランテーションでの黒人奴隷の悲惨な生活については様々な本などで読むことが出来るのでここでは省くが、当時のサン=ドマングでは黒人にも希望が持てる法律が存在していた。「黒人法典」がそれだ。

当時のヨーロッパの多くで黒人が法の枠外の存在だったのに対し、フランスでは黒人を法制度の中に取り入れる試みをしていた。これは黒人奴隷の権利と人権を保護することは出来なかったが、白人との混血児に僅かな希望を与える法律であった。

この法律では白人と黒人との内縁関係を禁止し、内縁関係によって生まれた混血児を奴隷身分とする条項が盛り込まれているが、免責事項として、内縁者が独身かつ、その後教会法に基づき婚姻関係を成立させた場合、2人の間に生まれた子を自由で嫡出としてみとめる、としている。サン=ドマングでは、これらの混血児が急速に富裕化していったという。サン=ドマングでは裕福なムラートの知識人階級が誕生しつつあったのだ。

父はフランスに帰国し爵位を相続する際の渡航費を工面するため、一時的にデュマを奴隷として売り払う。その後、買い戻されフランスに渡る。父は遺産の多くと多額の借金を注ぎ込んで、デュマに優雅な生活をさせ、高等教育を施していく。

しかし、父が若い女と再婚したのをきっかけに、親子の中は疎遠になり、デュマは父方の貴族の名前を捨て、母の姓であるデュマ姓を名乗るようになる。そして、兵卒として竜騎兵隊に入隊するという道を選ぶ。たとえ有色人であっても貴族の子弟が、士官にならないことは当時として異例な事であったという。

フランス革命の混乱の中で数々の武勲を立てたデュマは、わずか一年で伍長から将軍へとのし上がっていく。ただし革命の中で将官として生きるのは非常に危険な事でもあった。兵士たちは旧来の身分が急速に崩れるのを目の当たりにし、士官たちに対し恐ろしいほど反抗的になっていた。兵士に殺害される士官も多々いたという。


また当時はジャコバン派が幅を利かせ、公安委員という機関が中央から各方面軍に派遣委員と呼ばれる男たちを派遣し、将官を監視し、軍を統制していた。「恐怖政治の大天使」と呼ばれたサン=ジュストのような男たちが、敗北した将官を次々にギロチン送りにしていた。デュマは公安委員と衝突を繰り返いしながらも、心からの革命への情熱と誠実な人柄で、委員会から派遣された男と友情関係を構築し、巧みに恐怖政治を生き延びた。しかし、英雄的な戦果と名声に包まれた彼も、やがては全てを失う事になる。ナポレオンの台頭によって。

同じく革命の混乱に乗じてのし上がったナポレオンはやがて自らの存在を、ただの将軍以上のものへと変貌させようとした。配下の将軍たちに個人的な忠誠を誓わせようとするナポレオンにデュマは公然と不快感をあらわにした。

二人の仲は急速に悪化し、エジプト遠征中に修復不能なまでになる。デュマはナポレオンと袂を分かち、エジプトから引き上げる。だがその際に運悪く、ナポリ王国で捕虜となってしまった。デュマは二年の虜囚生活で健康を害してしまう。彼がナポリから解放され、愛する妻が待つ祖国に帰ったとき、彼を迎えた祖国は別物になっていた。デュマは全ての公職から退けられる。ナポレオンは彼の名前を口にする事さえも禁じた。

ナポレオンは黒人及び有色人の権利を次々に奪い、有色人の議員は力を失っていた。デュマの故郷サン=ドマングはナポレオンの軍により蹂躙された。サン=ドマングは革命の中でも、本格的に独立することなく、自らをフランス共和国であると位置付けていた。しかし、有色人の革命家トゥサン=ルヴェルチェールにより奴隷制度が廃止されていたのだ。ナポレオンはその状況を許さなかった。

膨大な富を生むこの島に再び奴隷制を復活させようとしたナポレオンはトゥサン率いる軍と熾烈な戦闘を行う。各植民地で多くの黒人や有色人が殺され、生き延びた者は奴隷として売られた。逃げ延びた人々は、いま一度、頸木に繋がれるくらいならと自死を選んだ。その中にはかつてのデュマの部下もいた。人種差別に基づく奴隷制を撤廃する実験は失敗に終わった。

苦難と希望の予感に満ちた少年時代を送り、華やかな社交界で過ごした青年時代を経て、革命の混乱の中、白人女性と恋をし結ばれ、革命に身を焦がし、希望へと突き進み、栄光と自由と権利を勝ち得たデュマの人生は、その伝記を読む者の胸中をも燃え上がらせる。

しかし、後半の顛末はデュマの生き様が大きく胸に響いた故に、より一層寂しさを感じさせる。本書を読むだけでさえそうなのだ、渦中のデュマ本人や家族はなおさらであったろう。デュマの息子は長じて、父の無念を名作『モンテ・クリスト伯』の中で見事に再現しているという。そう、作家アレクサンドル・デュマはアレックス・デュマの息子なのだ。

彼は忘れ去られた男だ。少なくとも、『三銃士』、『モンテ・クリスト伯』などを著した息子のアレクサンドル・デュマや『椿姫』を書いた孫のデュマ・フィスより知られていない。そのため彼の足跡をたどる事は容易でなかったようだ。著者は資料収集のために訪れた、デュマの妻の故郷ヴェレル・コトレで、官僚組織の弊害により開かずの金庫になってしまった博物館の金庫をかなり苦労しながらも開けさせる事に成功する。本書は忘却という名の扉をこじ開け、革命の中で花開いた一人の男の人生に、いま一度、脚光を当てようとした意欲的な伝記である。

HONZより転載

『キム・フィルビー かくも親密な裏切り』30年間も友を裏切り続けた男



イギリスの上流階級に生まれた二人の男にはいくつもの共通点があったという。抑圧的で、権威主義的で偏屈、そして変人である父を持ち、確執を抱えていた。幼少期は虐待に近い躾を行う、寄宿舎学校でスパルタ式の教育を受け、権威に反感を抱き、長じてはケンブリッジ大学で学ぶ。イギリス紳士らしく、人を結び付けも、隔てもする礼儀正しさを常に失わない。自信に満ちた立ち振る舞いは、いかにも上流階級にふさわしい。ニコラス・エリオットは内気な性格を隠すため矢継ぎ早にジョークを繰り出し、キム・フィルビーは幼少期の疎外感からくる精神不安を紳士然とした態度で隠す。

二人はMI6というイギリスの諜報組織において、共に出世街道を進み、組織の中枢を占めるようになる。そして、この秘密クラブの中で多くの友人をつくり、クラブの身内に固い忠誠を誓っていた。

しかし、たった一つの違いがあった。それはエリオットが固い愛国心を基に行動していたのに対し、フィルビーは強固なイデオロギーのために、この秘密クラブを裏切っていたことである。フィルビーは、ソビエトがMI6に送り込んだ二重スパイであった。本書は「ケンブリッジ5」と呼ばれるイギリスを震撼させたスパイ事件の筆頭人物と目されるキム・フィルビーと友人たちの裏切りと葛藤の物語だ。

フィルビーは魅力に溢れた人物であったという。彼に接したものは誰しもが「崇拝」せずにはいられなかった。後にCIAの防諜部門のトップになるジェームズ・アングルトンも彼を崇拝していた。多くの人々の信頼を受けながら、その全てを裏切っていたのである。

エリオットとフィルビーは第二次世界大戦のさなか、共に業績を上げ出世していく。25歳のエリオットはイスタンブールで防諜活動の代表に抜擢される。当時、中立国であったトルコは情報戦の最前線であった。エリオットがいかにMI6の中で優秀なスパイであったかを物語る人事だ。この地でエリオットは大きな成功を収める。彼は大戦下、ナチスによる厳しい監視の下で、ドイツの名家出身である、エーリッヒ・フェアメーレン夫妻を見事にイギリスに亡命させたのだ。

夫妻の両親族は共に反ナチス的な思想の持ち主で、しかも反共産主義であった。さらに、エーリッヒは短い期間とはいえ、ドイツの諜報機関アプヴェーアで勤務していた。エーリッヒが持ち出した情報により、アプヴェーアは麻痺状態に陥る。MI6内は歓喜に沸き、エリオットは名声を手にした。

エーリッヒ夫妻はドイツ国内の反ナチスで、なおかつ反共産主義活動家の一覧リストを所持していた。これは、戦後ドイツの再建とソ連による赤化を防ぐために非常に有益な情報だ。

戦後、ドイツ各地でMI6はリストの人物へ連絡を試みている。しかし誰一人として、彼らと連絡を取る事ができなかった。ドイツ敗戦の混乱の中で、彼らはナチスに処刑されてしまったものと、MI6は分析した。しかし、真実は違った。フィルビーがこの情報ををソ連に流していたため、ドイツに侵攻したソ連軍によって彼らは処刑されていたのだ。

米、英の諜報機関は逆ドミノ理論とでもいうような発想に基づき、ソ連の衛星国で反共産主義勢力を支援し、クーデターを起こさせる計画を練る。そして、次々とソ連の衛星国に工作員を送り込んだ。しかし、作戦の殆どが失敗に終わり、送り込まれた多くの若者が、家族もろとも処刑されている。これも、当時MI6のワシントン支局長としてアメリカにいたフィルビーが、友人のアングルトンから引き出した情報のためであったという。彼は友情と己の魅力を通貨のように使い、多くの諜報関係者から情報を搾り取っていた。

彼はイギリスで信頼を得て出世街道を進むとともに、ソ連からも重宝される工作員として名を馳せる。もっとも当初はあまりにも安易にMI6内部に潜入し、貴重な情報を収集してくるために、ソ連国内では三重スパイではないかと疑われていたという。学生時代に共産主義に傾倒していたはずの男がなぜ容易に、MI6に入ることが出来たのだろうか。それはイギリスの上流階級という狭き世界に理由がある。

イギリスの上流階級は一種のクラブのようなものだ。血筋により選ばれたサラブレットのみが入会することが出来るクラブだ。このクラブでは誰もが誰かと繋がり、その繋がり自体が信用になる。フィルビーの父はMI6の副長官と知り合いだった。ソ連はこの英国的な貴族クラブのシステムを理解していなかった。社会システムへの理解不足が、フィルビーに対するソビエト側の不審の種になっていたという点はとても面白い。またこのクラブという概念を理解することがエリオットたちの行動を理解する点で重要になる。

フィルビーがスパイではないかと疑われた際にMI6全体がフィルビーを庇い、防諜組織MI5と激しく対立することになる。当時、MI6はエリート階級出身者で占められていたのに対し、MI5は中産階級および労働者階級を中心にした組織であった。エリートで占められたMI6はクラブの絆に基づき、フィルビーを擁護するのに全力をあげる。このためにイギリスの諜報機関に大きな歪を作り出してしまう。そして、この対立はアメリカにも波及し、西側諸国の諜報機関に大きな混乱をもたらすことになる。

多くの人々を30年以上にわたり欺き裏切り続け、二重生活を送っていたフィルビーは晩年にこう語っている。

私はいつも個人レベルと政治レベルという二つのレベルで活動していた。二つが衝突したとき、私は政治を優先させなくてはならなかった。人を騙すのは好きではないし、それが友人となればなおされで、私は皆が考えているのとは違い、それについてひどくすまないと思っている



しかし、「すまないと思っているからといって騙すのをやめなかった」と著者は結んでいる。

エリオットは晩年にフィルビーの事を「外面的には親切な男であった」が「内面的には残忍な男であったに違いない」とし「上品なヴェールの陰に隠れながら自惚れた自己中心的な男」に違いないと回想している。

フィルビーには二つの顔がある。親切で上品で崇拝したくなる魅力的な一面と、自己中心的な顔だ。彼は二人目の妻アイリーンがフィルビーの裏切りに疲れ果て、惨めな孤独死を遂げたとき、新しい愛人と結婚できると喜び、知人夫妻を鼻白ませている。このように他者に対する思いやりを欠くエピソードも見うけられる。まったく背反する性格が一人の男の中に矛盾することなくおさまっていたのは興味深い。

イギリスの上流階級、諜報機関、ソビエトの工作員という選ばれた者しか入会できない、三つのクラブに属した男の生涯は、イギリスの社会史、諜報の歴史、人間のドラマなど、いくつもの視点から読むことが出来る。そして、そのどれもが一級のエピソードに彩られている。

HONZより転載

ブードゥーライドのスピードディテイラーを使ってみた。

今日は車のことなど。

3月に買った中古型落ちベンツ。購入時で走行距離は23,000キロという低走行車なのだが、洗車キズがけっこうヒドイ状態だ。実は購入店に見に行った時にはまったく気づかなかった。といのも、白い車をぴーかん晴れのま昼間に見たため、照り返しが眩しくボディーの塗装面をあまり直視できなかったのだ。

正直、中古車なのであまり細かいことは気にしていないのだが、やはり傷は目立たないようにしていきたい。だだ、高い専門店のコーティングや手間暇かかるコンパンド磨きは今のところ避けたい。という事でamazonで無水洗車も出来るブードゥーライドを買ってみた。



CCウォーターなどではなく無水洗車もできるブードゥーライドを選んだ理由たが、実は深いわけがあるのだ。我が家の駐車場の前には、アパートの大家ご自慢の大木(なんの木かは不明)がそびえ立ち、この時期になると花を咲かせ、大量の花粉と花びらを撒き散らすのだ。積もった花粉は粘つき息を吹きかけても、スピードを出して走っても車体にしっかりとこびり付き車全体をくすんだ印象にさせる。また粘ついた花粉の上に積もった花びらや砂塵、さらには虫の糞なども取れにくいしている。車には最悪な環境なのだ。

こうなってくると毎日でも洗車したいところだが、世間で言うブラック企業に勤めてい私は、とにかく時間外労働が長い、長い。時間的にも肉体的にも、さらに精神的にも毎日洗車を行うことは不可能だ。そこで、こいつの出番となる!ブードゥーライドのスピードディテイラーならば素早く簡単に洗車とコーティングが可能なはずだ!

と言うわけで試した結果なのだが、艶はそこそこ出た。だだ拭きムラが発生するので乾いたウエスでの二度拭きが必ず必要になる。これがなかなかムラが無くならずかなり辛い作業だ。商品としてはなかなかの物なのかもしれないが、時間と労力を惜しむことを目的としていた私には向いていないかも。お手頃な無水洗車を売りにしているわりには手間がかかるという感じだ。ただ、もう少し時間的な余裕があり、洗車をせずにピカピカにしたい人には向いているかもしれない。あるいは、ちょっとした汚れを素早く拭き取りたい人にもお勧めできるであろう。


使用後の写真。まあまあ艶が出ている?








『進みながら強くなる』思考と道徳について考える。



 文部科学省が道徳の教科化を決定したことで、喧々諤々の議論が巻き起こった事は記憶に新しい。マスコミなどで繰り返される道徳の教科化を巡る議論を聞いていると、賛成、反対派を問わず、どこか紋切り型な話が多い。

日本社会の根幹にどのようなシステムが存在し、それが日本社会の道徳形成にどう影響したかという、もっとも重要な思考的考察がこれらの議論には抜け落ちているのではないか。仏文学者の鹿島茂が著した本書は、そんな疑問に大きなヒントを与えてくれる。

本書は家族人類学者のエマニュエル・トッドの考えを根底に、家族形態の違いこそが人の思考を規定する、という観点で物事が考察されている。

ではエマニュエル・トッドが考える家族形態の類型とは、どのようなものなのであるろうか。まず、アメリカ、イギリス、フランスといった国々を「核家族」形態とし、日本、韓国、ドイツ、スウェーデンなどの国を「直系家族」形態と分類している。さらに細かい分類と分析も記されているが、ここでは省く。

ここで説明するまでもないかもしれないが、核家族の特徴は父、母、子の組み合わせが最小にして最大の単位を形づくり、子供は独立した生計を営むようになると親元を離れ、同居することはなくなる。また子供が独立した時点で一個の人格として認め、お互いに干渉することをしなくなる。直系型家族の特徴は子供が成人して生計を立てられるようになっても、親は子供の一人と同居し続けるというのが特徴だ。

著者は日本でも形こそ核家族化したように見えるとはいえ、その実態は直系家族の変異した形態でしかなく、本質的な部分で直系家族の形態を引き継いでいるとしている。

核家型家族の社会では、子は親から独立することにより、完全な自由を手にするが、その反面、自らの行動の全てにおいて自己責任が問われる。このため、教育において自ら「考える」姿勢を、非常に強く教え込まれるという。

一方で直系型家族は親の権威が強く子は独立後も、多くの決断を親に委ねているため、自ら物を考えることが苦手であり、代々続く伝統的価値観を墨守する傾向が強いという。

直系型家族の国々では概してモラルが高いことが多い。父権というものが人々の意識の中に常に存在し、人々の行動を監視している為である。フロイトはそれを超自我と呼んでいる。フロイトもまた、強固な父権が存在する直系型家族形態の社会を営むユダヤ人である。

父権に支えられた超自我が、私たちのモラルを常に規定している。これらの考察を読んでいると日本はモラルが高い反面、社会や思考が柔軟さをかき硬直化しやすくなるような欠点を抱えているように思える。

では、一方で核家族形態の社会でモラルというものはどのように形成されるのだろうか。著者はこれらの国々では、「考えること」がモラルを規定しているという。考える事とは、つまり自己の利益を最大化するこういだという。このように聞くと、むしろ人々が自由に振る舞い、秩序が失われるように思える。だが、実際はそうはならない。なぜならば、欲望を100パーセント出してしまえば、必要以上に競争が激化し、手に入る利益が縮小してしまうのだ。

自己の利益を最大化するためには、理性によって欲望や自己愛をある程度コントロールする必要がある。このような社会では「正しく理解された自己利益」というものを常に考え、発展させていく必要が生じるというのだ。

「正しく理解された自己利益」に基づく秩序を、絶対核家族社会であるイギリスに生まれた社会学者ホッブズは社会契約と呼んでいる。このタイプの社会は、常に利益の最大化すために、イノベーションが生まれやすく、柔軟な社会システムを生む一方で、時には理性というブレーキの利きが弱くなり、利益追求が行き過ぎてしまうこともある。現代の社会を覆う資本主義システムもまた、この核家型社会が生み出したものなのである。

戦後、アメリカ型の民主主義や経済システムを取り入れてきた日本では、徐々にではあるが、家族形態の変化が起きている。これが、モラルの低下と呼ばれるものの正体であるようだ。

父権の低下により超自我の存在が私たちの中から薄れつつある。その一方で、日本人は核家族社会のように、「正しく理解された自己利益」というものを思考するような教育を受けてはいない。

著者はこのため、いかに思考するか、思考するとはどのような事か、という問題をデカルト著の『方法序説』とパスカルの言葉を引用しながら説明する。個々人が自ら深く社会のあり方を問いながら、新しい道徳観を形成しなければいけない時代が来ているのではないかと、問いかけている。

安倍政権はアメリカ型の社会システムをより積極的に取り入れる方向に舵をきろうとしている。だが、資本主義社会の中で、安倍首相などが望む旧態依然の道徳観を人々に押しつけようとすれば、混乱が広がるばかりなのかもしれない。現実と理想とで引き裂かれたアイデンティティの混乱が過激な排外思想へと発展する可能性さえあるのでは、と邪推してしまう。

そう考えると著者のいうように新しい道徳を生み出す時期に来ているのかもしれない。だが、日本の社会が天皇を頂点にした、一種の疑似直系家族型社会である事を思うと、核家族型の思想体系と日本の思想提携をどのように融合させるのかという、政治的問題が常に付きまとうのかもしれない。

ただ、資本主義社会の中で「正しく理解された自己利益」を追及する思考を学ぶことは個人の人生にとって大きなプラスになる事は間違いないと思う。その一点だけとっても本書は読むに値するのではないか。

考えてみれば日本の近代史とは、この様な思想的緊張の連続だったのではないか。かつて中江兆民が『三酔人経綸問答』で、引き裂かれた日本の価値観を見事に描写したが、その答えは100年以上経った今も出ていなのであろう。

HONZより転載
プロフィール

後白河

Author:後白河
1978年愛知県生まれ。10代の頃は中学3年で登校拒否、高校中退、暴走族の構成員とドロップアウトの連続。現在は自動車部品工場に勤務。気がつくとなぜかHONZのメンバーに。趣味は読書、日本刀収集、骨董品収集、HIPHOP

成毛眞氏が運営するHONZというオススメ本紹介サイトでレビューを書いています。
http://honz.jp/



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