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戦慄の連続!『シリアルキラーズ』連続殺人犯の闇




シリアルキラーと聞いて、皆さんは何を思い浮かべるだろうか。ヒッチコック監督の映画『サイコ』だろうか。それとも『羊たちの沈黙』に出てくるハンニバル・レクターを思い浮かべるだろうか。若い人ならアメリカのテレビドラマ『クリミナル・マインド』を連想する人もいるだろう。本書は実在のシリアルキラーたちをFBIが使用しているプロファイリングを基に分析、分類した連続殺人鬼ファイルである。

殺人と聞くと、そのイメージはどんなものであろうか。本書によれば一般的な殺人の多くは、近い関係にある者たちの間で行われる。私たちは見知らぬ誰かに殺されるより、友人や同僚、恋人や配偶者から殺されることの方が、はるかに多いのだ。顔見知りを一時の激情で殺した犯人の多くは、その時点で殺人者としての行動を停止する。自首するにせよ逃亡するにせよ、二度目の殺人事件を起こすことは稀だ。しかし、シリアルキラーは違う。

彼らは見知らぬものを殺す。そして一時期の冷却期間をおいて、また殺しだすのだ。無論、例外は存在するが。
近年の研究によると、合衆国における1800年から1995年までのシリアルキラーは399人で、その犠牲者の数は2526人から3860人だという。アメリカではシリアルキラーの多くが白人である。だが近年では黒人のシリアルキラーも増えているという。シリアルキラーが人種の壁を超えるのは稀で、白人は白人を殺し、黒人は黒人を殺すという。

シリアルキラーは犠牲者からしばしば何かを強奪するが、金銭目的というよりは戦利品やコレクションとして、物ないし犠牲者の人体の一部(足、乳房、首など)を強奪するという。連続殺人の最たる理由は性的支配にあるという。犠牲者の殆どは殺害前か殺害後に強姦されており、緊縛、拷問、四肢切断、人肉食などが頻繁に行われているという。例えば女性の靴にフェティシズムを感じるジェリー・ブルードスは、殺した女性の死体と性行した後で、足を切断し保管し好みのハイヒールを履かせて楽しんだという。また殺害後に首を切断し、頭部のみを保管し、その頭部と性行を重ねていた犯人もいる。

シリアルキラーを分類するのに多く使われるのが、FBIが使用する「秩序型、無秩序型」という分類だという。これはFBIの行動科学の専門家が編纂した『犯罪分類マニュアル』に依拠する。

同マニュアルでは殺人を4つの主要グループに分ける。「犯罪企業型殺人」「個人的動機型殺人」「性的殺人」「集団的動機型殺人」である。ここからさらに細かいカテゴリーに分化していくのだが、連続殺人という個別のカテゴリーは存在せず、そのタイプにより様々なカテゴリーに分類される。

連続殺人が最も頻繁に分類されるのが、性的殺人であるという。そして性的殺人は以下のサブカテゴリーを持つ。「秩序型性的殺人」「無秩序型性的殺人」「混合型性的殺人」だ。ただしこの分類方には科学的な根拠が欠けているとの指摘や批判も度々でている。

秩序型性的殺人犯の特徴は、しばしば安定した家庭で育ち、父親は高収入、出生順位は高く、平均以上の知性を持ち、魅力的で既婚、配偶者と同居し、定職に就き技術を持つ。教育程度は高く、整然としており、狡猾で、自らを制御下においている。社会的品位を持ち、しばしば犠牲者と抑制された会話を交わしたり、誘惑したりして誘拐する。肉体的な魅力を持ち、犠牲者よりしばしば年上で、巧みに痕跡を隠すため逮捕は困難だという。

秩序型の代表的な連続殺人者は「シリアルキラー」という言葉ができるきっかけとなった、テッド・バンディだ。彼はあまりにも秩序だっていたので、警察は最初の17人の犠牲者の殺害場所を未だに特定できていない。6人の犠牲者は未だに発見されておらず、バンディ本人は「連続殺人における唯一の博士号保持者」とうそぶいている。

彼は高い知性と肉体的な魅力を持ち、中産階級的な野心を体現したような人物であったという。政治活動にまい進し、心理学の学位を持ち、法律家をめざし、美しい恋人を持ち、自殺防止カウンセラーとして親身に人々の相談にのっていた。

その一方で、冷酷な殺人鬼として多くの女性を狡猾な方法で誘拐し、鈍器で頭部を殴打し、気絶したところを強姦し、肛門性行を行い、絞殺している。その犯行は見事で、目撃者をほとんど出さず、証拠も残さない。その人間性の複雑さと犯行の見事さから、テッド・バンディに多くのページが割かれている。

無秩序型は出生順位が低く、不安定な家庭出身者が多く、家族から虐待経験がある。性的に抑圧され、無視され、場合によっては性に対し嫌悪感を持つ。脅迫的な自慰に耽る傾向がある。しばしば一人暮らしで、犯行中は怯えている。あるいは混乱している。秩序型より自宅近くで犯行に及ぶ傾向がある。既知の人物で年上を狙う傾向があり、しばしば奇襲攻撃をかけ(突然襲う)犠牲者を制圧し捕獲する。教育程度は低く、証拠を残す。犠牲者と最初にあった場所から死体を動かさず、死体との性行を好むという。

FBIが行ったシリアルキラーへのインタビューによると、シリアルキラーの多くは幼少の頃からアブノーマルな行動をとる事が多いという。ペットを殺す、夜尿、放火などの事例が多く報告されている。また子供社会から孤立し孤独な幼少期を送る。無口でおとなしく人見知りをするものが多い。彼らは孤独な幼少期にアブノーマルな空想を膨らませるという。犯罪者の82パーセントは子供の頃に白昼夢に耽り、同じく82パーセントが脅迫的な自慰に耽っていたという。

彼らは次第にアブノーマルな空想を現実世界で試すようになる。ペットの虐待、覗き、盗み、などの軽犯罪を繰り返しながら、犯罪をエスカレートさせていくという。上記の靴フェチの男は小学生の時に女性教師の靴を盗むようになる。つまり、子どもがある種の性的嗜好のある軽犯罪を犯す傾向があるならば、それを無視するのは危険な行為かもしれない。

本書では他にも様々な視点からシリアルキラーを論じている。上記のFBIによる、秩序型、無秩序型以外にも心理学や犯罪学的観点からみたシリアルキラーの分類法。またFBI行動科学科、いわゆるBSUの真相やプロファイリングの歴史などどれも興味深い。

正直、シリアルキラーの犯行の詳細を読んでいくと、あまりの残虐性とアブノーマルな行為に不快感を持つ。女性に対する性犯罪が多いので、女性の読者にとってはなおさらであろう。だが、そのざらついた読後感こそが本書の醍醐味であるとも思う。連続殺人者の心の闇を覗く作品である。他者の心の闇を覗くとき、また自分の心もその闇に侵食されることも致し方無いのであろう。そしてその闇を抱えたシリアルキラーもまた、私たち社会の一員なのである。

HONZより転載
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『ペルシア王は天ぷらがお好き?』言語学から見る食の歴史には、驚きがいっぱい!



天ぷらの語源がポルトガル語の「調理」を意味する「tempero」だとされることは、今日では多くの人の知るところであろう。しかし、この天ぷらという料理の起源をたどると、古代ペルシアの「シクバージ」と呼ばれる肉の甘酢煮料理にたどりつくことを、どれほどの日本人が知っているだろうか。本書はスタンフォード大学で言語学とコンピューターサイエンスを教える教授が言語学の観点から、料理にまつわる様々な歴史的事象を面白おかしく、多くのトリビアを織り交ぜながら紐解いていく、一風変わった作品だ。

さて、話を天ぷらに戻そう。ここまで読んで多くの人は、なぜ肉の煮込み料理であるシクバージが揚物になったかという事に疑問を持つであろう。この問題の鍵は酢という食材と船乗りたち、そして中世キリスト教の厳しい戒律にあるという。ササン朝ペルシアの王ホスロー一世の大好物であったシクバージは宮廷料理らしく非常に手の込んだ煮込み料理だ。レシピは本書に譲るとして、この料理のレシピを見るかぎり、魚の揚物料理に繋がる道は見えてこない。

しかし、酢という食材にそのヒントがある。酢には非常に強い抗菌効果があり、この点に船乗りたちが目を付けた。はっきりしたことはわかっていないものの、酢の抗菌効果で日持ちのするシクバージは保存食の一種として、船乗りたちを通して地中海世界へと広がっていった。肉という食材から魚へと食材が移り変わったのも、こうした船乗りたちの影響があったのかもしれないという。13世紀にはエジプトで揚げた魚に甘酢のソースをかける魚のシクバージ料理のレシピが残っている。

しかし、中東では一般的なシクバージと言えば、やはり肉の甘酢煮料理であったという。亜流である、魚のシクバージを大々的に受け入れ発展させたのは実はヨーロッパだ。

今では想像できないのだが、当時のヨーロッパではキリスト教により厳しい食事制限が課せられていたという。一説では一年の内の半数は肉、乳製品、卵を口にできなかったという。こうした社会背景の下で魚のシクバージは受け入れられ、名称と料理方法を変化させながら普及していくことになる。やがて、この中東に起源をもつ料理はユダヤ人を介してイギリスに渡り、イギリスの伝統料理「フッシュ・アンド・チップス」となり、一部はスペイン人の手により南米大陸に到達し「セビーチェ」となり、ついにはポルトガル人の手で日本にもたらされ、天ぷらへと発展したという。何とも壮大な物語であると同時に人間の活動のダイナミックさを秘めた話である。

さて、その他にも興味深いトリビアとしてはケチャップの話も外せない。ケチャップといえば一般的にはトマトが使われている。しかし、ケチャップはトマト・ケチャップと表記されることが多い。これはよく考えればおかしな話だ。日本で例えるなら、大豆味噌とでもいうようなものだろうか。このことからもわかるように、アメリカのファストフードの調味料の代名詞ともいえるケチャップも実はアメリカ生まれではない。また元はトマトを使った調味料でもなかったのだ。

実はケチャップとは中国語であり、中国の福建省がその発祥の地なのだという。ケチャップとは中国南部、現代の福建省あたりで食べられていた、魚の発酵食品がその起源だという。元々はモン・クメール族やタイ族といった人々が水田などで獲れた淡水魚を発酵させピリッとしたペーストにして食べていたという。この発酵の技術が日本に伝わり、味噌や鮨へと発展していったことは想像に難くない。一方で船乗りたちを介し西へと伝播していく過程でケチャップはその姿を大きく変え、現代のアメリカを代表する調味料へと発展していったという。

他にも現代では西洋料理のように思われているシャーベットやアイスクリームなども元をたどればイスラム圏がその起源であることなど、食に関する驚きで本書は満ち溢れている。

私たちは近代的なナショナリズムが形成された後に生まれた世代だ。そのため、しばしば自国の文化や伝統が孤立した一個の民族の中の創造性からあふれ出てきたように錯覚しがちなのかもしれない。

しかし、本書を読めば、独自の伝統や郷土料理のように思われている物の多くが、どこか別の地域で発生し、膨大な距離をゆっくりと移動して行く過程で様々な風土の下で培われた文化と融合し現代の姿にいたっていることを教えてくれる。

著者はコース料理の名称のアントレという言葉がアメリカとフランスではなぜ異なるのかという問題を解きほぐしていく過程で、本来の言葉の意味や料理が、それぞれの文化でどのように変化し、どう解釈されていくのかを見事に描き出す。一見、本場に見え、かつ格式が高いはずのフランス料理の名称が必ずしも絶対的な正解ではないという事実を炙り出す。何がオリジナルかなどという論争の愚かしさに多くの読者は気づくはずだ。

結局、文化とは様々な風土に育まれた伝統が人間の移動と共に各地に伝わり、やがて絶妙に混ざりあったて形成されていくものなのだ。そう考えれば、ときどき話題になり、日本人のナショナリズムを刺激する、海外の変な鮨に関する問題も新しい視点で見ることが出来るかもしれない。鮨が海外に渡り、その土地の風土や文化と混ざり合いながら現地化していくのは自然なことであり、日本人がその事にとやかく言うべきではないのだろう。ただ、個人的にそのような海外の変わりネタ鮨を食べるかどうかは、また別問題ではあるのだが……

HONZより転載

『ナチ科学者を獲得せよ!』アメリカの繁栄に秘められた、ナチの影



第三帝国の終焉が近づきつつある、1944年11月26日。フランスのストラスブールでは連合軍とドイツ軍が激しい砲火をまみえていた。そんな戦況の中、都市の中心にある豪華なアパルトマンの一室では、数人の科学者が一心不乱に書類を読み漁っていた。アメリカ人の粒子物理学者ゴーズミットが率いるこの特殊チームはアメリカよりも先進的な研究成果を持っていると考えられていたナチの科学と最新兵器を狩る事を目的としたチームだ。

彼らが捜索している部屋の主はドイツのウイルス学者オイゲン・ハーゲンという男で、ナチの重要な細菌兵器開発者の一人と目されていた人物だ。ここで彼は衝撃的な手紙を見つける。それはナチの医師らが健康な人間を使って生体実験を行っていた事を示す手紙だ。まさに、この日、この瞬間、彼らの手によって、ナチの科学者たちが行っていた非人道的で邪悪な姿が第三帝国という漆黒の闇の中から引きずりだされたのだ。

この事実は世界の科学者たちに衝撃を与えるものだった。ゴーズミットの知るオイゲン・ハーゲンは、人々を助けるために身を捧げた穏やかな性格の医師で、世界初の黄熱病ワクチンの開発にも貢献し、1937年にはノーベル賞候補にも選ばれた、ドイツ屈指の医学博士であったのだ。そんな彼が毒性の高いワクチンを使った人体実験に関わっていたのである。

世界で起こる様々な出来事の中には驚きを禁じ得ないことがしばしばある。本書もそんな出来事のひとつであろう。この本のタイトルにもなっている〈ペーパークリップ作戦〉とはアメリカが極秘裏にナチの科学者をスカウトし雇用した諜報作戦である。1600人を超える医師、科学者、技師などが、戦中に行った残虐行為の罪を問われることなくアメリカによって保護され、高い賃金と自由な暮らしを手に入れた。アメリカの市民権を手に入れた者もおり、そのなかの一部の者は、アメリカで大きな成功を手にする。

例えばクルト・デーブスは可動式発射台等を監督したV兵器の技師で、熱烈なナチ信者だ。彼は同僚の一人が反ナチス的な言動をとっていることをゲシュタポに通報し引き渡している。戦後、彼はロケット技師としてアメリカに雇われ、宇宙開発に多大な貢献を果たし、ケネディー宇宙センターの初代所長に就任している。現在もクルト・H・デーブス賞という彼の名前に由来する賞が存在し、宇宙開発に貢献した人々に与えられているという。

同じくV兵器の開発者でV2ロケットの生みの親でもあるヴェルナー・フォン・ブラウンはアポロ計画の立役者のひとりである。ペーパークリップ科学者とともにNASAの職員となり、サターンVロケットの開発にまい進する。彼の先進性と功績は宇宙開発に沸くアメリカでおおいに持てはやされ、著作などで莫大な財産を築く。

セレブの仲間入りを果たしたフォン・ブラウンだが、彼もまた積極的なナチの信奉者であり、SSの将校という過去を持ちヒムラーとの関係も深い。この2人を含めた多くのロケット科学者と技師が戦中はドーラ=ノルトハウゼンという地下のロケット組立工場に勤務していた。

この秘密工場では、多くのユダヤ人などの奴隷労働者が働いたという。彼らの置かれた環境は極めて劣悪で数万人の奴隷労働者がこの地下工場で死亡している。見せしめの公開処刑も度々、行われていたという。当然この事実を彼らが知っていたはずだ。しかし、渡米後のフォン・ブラウンはナチ支持者だったことを否定し、詳細な注意を払いながら自身が反ナチであったという神話を創りだしていく。

ドイツの先進的な科学技術を求めアメリカ軍により行われたこの作戦は、ペンタゴンの奥深くに存在する統合諜報対象局(JIOA)によって統括されていた。JIOAは統合情報委員会(JIC)の小委員会であり、統合参謀本部(JCS)に国家安全保障に関する情報を提供する機関であったという。

ドイツ崩壊後にJICは新たな脅威をソ連とし、JCSに警告を発する。「ソ連は近い将来、欧米諸国との公然の衝突を避けようとする。しかし、それは戦力の回復のためであり、1952年までには総力戦に参加する準備が整うであろう」と。

こうした黙示禄的戦争への恐怖がJIOAの行うペーパークリップ作戦に大きな力をあたえていた。ソ連もまた多くのドイツ人科学者を母国に強制的に連れ帰っており、次の大戦では細菌兵器などの非通常兵器が容赦なく使われるであろうという軍の考えが、多くの残虐行為に加担したナチの科学者との秘密契約にいたる基になっていた。

もっとも、この作戦には「ナチの信者でないこと」などの条件が付いていたのだが、この条件が守られることはなかった。なによりもソ連にこれ以上、重要な科学者を連れていかれてはならない、とJIOAは考えていたのだ。

ただ、戦後、様々な残虐行為が明るみになる中で、ドイツの化学者たちを雇用しアメリカのビザを発給する事に、軍や政府関係者の間で抵抗感を持つものも多くいた。そのため、科学者を国内に「輸入」する計画は遅々として進まなかった。その状況に弾みをつけたひとつに、商務長官ヘンリー・ウォレスの賛成があったという。ウォレスはドイツの科学技術が流入することによりアメリカ人の科学者や技師などが刺激を受け、小さな会社を起業しアメリカの戦後の復興と繁栄の礎になる、という考えの下にこの作戦に賛意を表す。軍事面以外にもナチの科学者の存在価値が認知されたのだ。これは作戦にとって大きな一歩だったという。

それでも、JIOAの前に国務省のアチソンとクラウスという二人の男が立ちふさがる。彼らは移民に対するビザ発給権を巡り、JIOAと激しい攻防を繰り広げることになる。またこのような状況に一部のマスコミやユダヤ人団体が抗議活動をとり始める。アメリカの化学者たちの間にも動揺が広がる。ナチスの迫害から逃れ渡米したアインシュタインらも抗議活動を始めることになる。

本書はアメリカの軍事史、医学史、宇宙開拓史において、ナチの科学者たちがいかに大きな影響力を振るったかという歴史的な側面を浮き彫りにするとともに、科学者はいかにあるべきなのか。また、国家が繁栄という目的を達成するためならば、どのような行為をとっても許されるのだろうか、という問題を私たちに突きつける。

文字数の関係で触れる事が出来なかったが、他にも様々なナチ科学者が登場し、戦中に行った残虐行為を自己正当化していく姿に多くの読者が嫌悪感を覚えるであろう。と、同時に彼らがアメリカという国の繁栄に貢献し、その化学技術が今の私たちの暮しの礎を築いているという事実に愕然とするはずだ。科学発展と繁栄のためには、我々は悪魔とも契約を結ぶべきなのだろうか。このペーパークリップ作戦に関する資料の多くは未だに機密指定解除されていない。秘密の全てが明るみになったとき、私たちはその答えを手に入れる事が出来るのであろうか。本書は間違いなく、読者の心に引っ掛かる棘を持った本であろう。

HONZより転載

『殺人鬼ゾディアック 犯罪史上最悪の猟奇事件、その隠された真実』ミステリーと家族の再生



アメリカ国内で有名な未解決事件のひとつにゾディアック事件といわれる事件がある。1966年から1974年にかけて複数の男女が白人の男に襲われ、猟奇的な方法で6人が殺害された事件だ。この事件を世間に印象付けた理由はゾディアック自身が犯行後に警察を挑発し嘲笑するような電話や自分の本名が書かれていると主張する暗号文をマスコミに送り付けるなどし、世間に大きく扱われるように、犯人自身がその犯行をプロデュースしていた点だ。

また犯人像にも特徴的な点が多い。例えばオペレッタ作品の「ミカド」のセリフを引用し、高度な暗号のテクニックを駆使するなど、かなり教養があり知的水準が高かったことが窺える。さらに殺した相手を来世で奴隷にできるという思相に強いこだわりを見せているなど、一種、独特の世界観を持っている。また、電話で自らの犯行を通報した際には、イギリス訛りの英語を喋っていた。

多くの特徴と、生存者を含む数多の目撃情報、物的証拠などが揃っていながら、サンフランシスコ市警は犯人を捕まえる事ができずに迷宮入りした事件である。

本書の著者であるゲーリーは素晴らしい養父母の下で恵まれた子供時代を過ごした。しかし、いくら深い愛情の下で育てられようと、実の親を知らないという事で常にアイデンティティクラッシュに悩まされてもいたという。しかし、ある日、実の母親だと名乗る女性から手紙が届く。迷った末に彼は母に会いに行くことを決意する。まさか、それが迷宮への入口であるとも知らずに。

息子を伴いルイジアナからサンフランシスコに飛んだ著者は、ジュディと名乗る女性と出会う。最初はぎこちなかった母と息子だが、時間をかけて二人はお互いの溝を埋めていく。実の父が誰なのかを巡る問題を除いて。だが、著者はあきらめず、粘りづよく時を待ち、母から情報を聞き出す。

本書の構成は少し複雑だ。上記の冒頭部分に続き、中盤の前部が父ヴァンの不幸な生い立ちと青春期、「アイスクリーム・ロマン」としてマスコミに報じられた、27歳のヴァンと14歳の少女だった母ジュディとの愛の逃避行、出産、破局。そして中盤の後部は、ジュディを失ったヴァンがゾディアックとして覚醒していく話を中心据えている。

後半は著者が父ヴァンの足跡をたどるうちに、父がゾディアックではないかと疑い、その仮説を証明するために捜査を進める話に軸は足を置く。同時にヴァンと別れた後、母ジュディが歩んだ人生が並列して語られる。

父、ヴァンは牧師の父と美しく才能に恵まれた母の下に生まれる。幼少期を日本で過ごす。彼はすぐに日本語を憶えたという。長じてはドイツ語とイギリス英語のアクセントも完璧にマスターするに至る。また従軍牧師として第二次大戦に参戦する傍ら、海軍の情報部員でもあった父から暗号の組み立て方を教わり、たちまちその技術を習得した。

夫婦の関係は思わしくなかった。家庭を顧みず教区の人々の救済に駆け回る夫に対し美しい妻は不満を抱いていた。彼女は夫の教会に集まる信者たちと密通を交わすことを繰り返す。

やがて夫婦は破局を迎え、父の強い意向でヴァンは母の下で暮らすことになる。母はヴァンに関心を向ける事も愛情を注ぐこともなかった。多くの男が母を目当てに家に現れて消えていく幼少期をヴァンは送る。またスポーツや外での遊びを嫌い、骨董品やオペラに関心を寄せる変わった少年であったヴァンは従妹の少女たちに苛めを受けながら暮らすことになる。彼は女性に疎外され続ける事になる。

高校ではウィリアムという親友が出来た。彼の証言ではヴァンは「ミカド」を愛し、セリフを暗誦することが出来たという。また、殺した相手を奴隷にすることが出来るという考えに憑つかれてもいたという。彼はイギリス英語を愛し、気取ったアクセントで話すことを好んだ。また悪魔崇拝にのめり込むようになり、後にカルト教団としてアメリカを震撼させることになるチャールズ・マンソンなどとも関係を構築していく。

27歳の時に著者の実母ジュディに一目惚れし、彼女を誘惑して「アイスクリーム・ロマン」とマスコミから騒がれた逃避行は、それ自体がとても興味深く面白い。ヴァンがゾディアックであるかどうかに関わりなく、この話だけでも一冊の本になりそうだ。しかし文字数の関係上ここでは割愛する。

ジュディのいない間にヴァンが子供を捨てたことに、驚愕した彼女は彼の下から去り、それがきっかけでヴァンは警察に逮捕されることになる。彼女は成人後、一回り以上年上のロテアという黒人警官と再婚する。黒人差別が公然と行われていた当時、彼は尋常ではない努力で市警の中に蔓延する黒人差別と闘い、異例の出世を遂げていく。市警の花形であり、白人しかなれなかった殺人課の刑事に、黒人で初めて抜擢されたのも彼だ。さらに彼は政界にも進出し、サンフランシスコの黒人社会で名士としての地位を確立する。

父の手掛かりを探す際に著者とジュディは、今は亡きロテアの部下たちを頼る。市警の幹部になっているロテアの部下たちは、最初こそ犯歴を基にヴァンの足跡を追う事を手伝うと約束するが、すぐに態度を一変させる。ヴァンの捜査から手を引けと圧力かけ始めるのだ。

著者は壁にぶつかる。そんな時、偶然テレビで放送されたゾディアク事件のドキュメンタリーを見た著者は衝撃を受ける。警察が作成したゾディアックの似顔絵とロテアの部下が彼に渡してくれた父の写真が瓜二つだったのだ。さらに、ゾディアックの似顔絵を見た息子は「パパそっくりだ」と著者の顔を見つめる。

ロテアの部下たちの圧力、父そっくりのゾディアクの似顔絵。著者ゲーリーはヴァンがゾディアックではないかと疑いを持つ。サンフランシスコの黒人社会で伝説化しているロテアの妻がゾデイアックの前妻だという事はあまりにも不都合な真実ではないのか?ここから、サンフランシスコ市警との熾烈な駆け引きが始まる事になる。

ゾディアックのDNAデータの一部が市警に残されていることを知り、DNA鑑定を申し出る。著者に好意的に接し、再捜査を約束した殺人課の課長が、裏ではゾディアック事件の捜査を打ち切る事を決定し、一切の再捜査を認めていない張本人であったことがわかるなど、捜査は難航を極める。

誰が味方で誰が敵なのか。彼らはなぜヴァンの経歴を隠そうとするのか。謎が謎を呼ぶ。著者は数々の困難にあいながらも、いくつかの決定的な証拠を手にし、本書を通じて世間に問いかける。この事件では政治がらみの隠ぺいがあったのではないかと。

最初は共通点のない個別の物語のように思える、バラバラな物語が終盤にいたる過程でひとつの真実へと収斂していく手法は、まるでミステリー小説を読んでいるようで、ページをめくる手が止まらなくなる。また、養父母の苦悩や家族のあり方、実母との関係の再構築という点を追えば、家族の再生の物語という側面も本書にはある。まさにミステリーと家族の再生を見事に織り交ぜた極上のノンフィクション作品だ。

HONZより転載

『伊四〇〇型潜水艦 最後の航跡 (上、下巻)』 忘れさられた兵器と人間ドラマを再び浮上させる!





1945年8月28日、米潜水艦セグンドは、日本の降伏文書調印式典に、米海軍の潜水艦の代表として列席するため、日本本州から約1000マイル離れた洋上を航海中であった。そのときレーダーが何かを捉えた。レーダーのスクリーンに現れたブリップの大きさに乗員は目をみはる。これほどの大きさの物体ならば距離1万5000ヤード先からでもレーダーが確実にとらえるはずだ。しかし「それ」がレーダーに捕捉されたのは、なぜか距離5500ヤードまで近付いた地点であった。セグンドの乗員たちはわが目を疑い、次の瞬間には緊張が艦内を支配する。

実はセグンドの新任艦長であるジョンソンは部下たちからあまり信頼されていなかった。悪態をつき、せっかちで、どこかバランスを欠いたように見える人格が、部下たちを不安にさせていた。潜水艦の乗務員は水上艦の乗務員よりも死亡率が高い。完全に逃げ場の無い密閉された空間で、ひとたび事が起きれば全将兵が恐怖と苦しみの内に溺死するという惨めな最後を遂げることになる。
艦長の決断、指示ひとつで乗員の生死が決定してしまうのだ。兵士たちからすれば、艦長こそが自らの運命を握るキーマンなのだ。信頼の欠如により、艦内には常に軋轢と緊張が生じていた。そのような状況で未知の敵艦と遭遇したのだ。

艦長のジョンソン少佐は部下の不安をよそに、目標の追尾を決断。距離3000ヤードまで縮めたとき「それ」は正体を現した。誰も見たこともない、巨大な潜水艦として。この巨大な潜水艦こそ、日本海軍が起死回生のために開発、製造した潜水空母「伊四〇〇型潜水艦」であった。こうして日米の潜水艦による最後のにらみ合いが幕を開ける。

伊四〇〇型潜水艦は全長122メートルにも及ぶ巨大潜水艦だ。伊四〇一号潜水艦を発見したアメリカのバラオ級潜水艦セグンドが95.1メートル。同海軍のフレッチャー級駆逐艦は114.6メートルだ。伊四〇〇型は水上艦艇並みの大きさを持つ。これは当時の潜水艦としては世界最大級の大きさだという。

さらに地球を一周半もできる驚異的な航続距離を持ち、船体の上部はレーダー波を吸収する塗料が用いられ、喫水線より下は音響を遮断する塗料で塗られていた。また司令塔基部にはレーダー波を海上に跳ね返すための、凹凸を持つ設計となっており、潜水艦のステルス性を増す設計になっていたという。

だが、この艦の最大の特徴は艦橋の横に配置された大きな筒型の格納筒と、そこに格納された「晴嵐」と呼ばれる高性能水上攻撃機3機を搭載しているという点だ。

日本海軍の潜水艦は、世界の海軍で唯一、潜水艦に航空機を搭載することに成功していた。もっとも、従来の物は攻撃機ではなく偵察用の航空機が搭載されていた。攻撃機3機を搭載する伊四〇〇型潜水艦は、当時の日本の技術の粋を集め建造された、まれにみるほど独創的な潜水艦であったのだ。

潜水空母隊の構想を描いたのは、連合艦隊司令長官の山本五十六であったという。その目的は早期講和を実現させるためだ。アメリカの政治、経済の中枢であるワシントンとニューヨークに空爆を敢行することにより、アメリカ国民の戦意を挫くことを企図していた。

山本五十六は18隻の伊四〇〇型潜水艦の建造と搭載機の開発にまい進し、驚くほどの短期間で計画案を作成、海軍上層部に承認させている。しかし、山本の死や戦況の悪化、物資不足などにより、建造計画は大幅に縮小、遅滞する事態に陥る。

本書は伊四〇〇号と伊四〇一号を中心にした第六艦隊、第一潜水隊の乗員及び晴嵐のパイロットたちの苦難と葛藤と勇気を、アメリカ人の著者が丹念に綴った作品だ。
第一潜水隊の司令として旗艦である伊四〇一号潜水艦に乗船することになる有泉龍之介は連合軍から「虐殺者」と呼ばれている男だ。彼は第一潜水隊の司令官になる以前、インド洋の任務において撃沈した、輸送船や商船の生存者を(民間人の女性を含む)を次々と拿捕し、虐殺したという経歴があった。

このような、人道に反する行為を行った日本軍の軍人を欧米人が描くときには、当然ながら言語道断とばかりに断罪することが多いだろう。だが著者は念密な取材により有泉の人間性を見事に描き出す。一個の人間を単純に記号化し、絶対的な悪と断罪することは決してしていない。

捕虜殺害の命令は海軍の上級司令部により出されており、その意図は、商船の民間人の船員を無差別に殺害することで、商船に乗り込む志願者を減らし、連合軍の補給を困難なものにしようというものであったという。この命令に多くの潜水艦の艦長が疑問を持ち命令を無視する事態にいたる。

有泉は海軍軍人である事に誇りを抱き、組織に揺るぎない忠誠を誓い、秩序と命令系統を順守する男であった。彼は率先して汚れ仕事に立ち向かい、自らが艦隊の規範にかなうように行動する。だが、彼の真情は複雑であった。自らが犯した虐殺という行為に苦悩していたことが、部下の証言で明らかになっている。

連合軍は有泉の非人道的行為に対し、日本政府に抗議を申し入れる。政府から海軍側に説明が求められると、命令を出した司令部が調査委員を結成。責任の多くを有泉に負わせる。有泉は忠誠を誓う海軍からスケープゴートにされた形だが、彼の出世にこの事件が響くことはなかった。しかし、この時点で捕虜虐殺者として逃れる事の出来ない十字架を背負うことになる

ちなみに有泉の硬直した思考が後に伊四〇一号潜水艦の艦長、南部伸清との軋轢を生む。レビュー冒頭で記したセグンドとの「にらみ合い」の最中にそれは頂点を迎え、ついに噴火することになる。

名誉のために玉砕か自沈を望む有泉に対し、南部は出来る限り乗員を生きて祖国に帰すことこそ、艦長の役目と感じていたのだ。異なる信念を持つ二人の男の対立と葛藤が激しく交差する場面に、読者は手に汗を握りながら読み進める事になるだろう。さらに、部下から信望を勝ち得ていなかった、セグンドの艦長ジョンソンの意外な粘り強さと人間味溢れる行動が、日米の多くの人命を救うことになる。人間というものの多面性と複雑さがそこから垣間見える。

ちなみに、この伊四〇〇型潜水艦は、その後の潜水艦のあり方を大きく変える事になった兵器として近年、再評価の動きがみられるという。それまでは対艦兵器でしかなかった潜水艦に戦略兵器にとしての価値がある事を最初に証明したのだ。日本海軍は戦略兵器として第一潜水隊をサンフランシスコ沖合に侵入させ、晴嵐に搭載された生物兵器で都市を攻撃するという「PX作戦」を計画していた。もっともこれは陸軍の参謀総長梅津美治朗により反対され頓挫した。

しかし、この伊四〇〇型潜水艦が持つ革新性と攻撃性は、核ミサイルなどを搭載した弾道ミサイルで敵国の都市を破壊するという、現在の潜水艦のスタイルに受け継がれていくことになる。アメリカは、この兵器の秘密がソ連に渡る事を恐れ、鹵獲した伊四〇〇型潜水艦を速やかに撃沈している。本書は潜水艦という兵器を技術的にとらえた視点と、その兵器に乗り込み、精一杯生きた男たちのドラマとを、絶妙に交差させた力作だ。

HONZより転載

『サボタージュ・マニュアル』あなたの会社はなぜ非効率?



第二次世界大戦中に米国戦略諜報局(OSS)が作成したサボタージュマニュアルの翻訳本である。このマニュアルは枢軸国の占領下にある市民にできるかぎり仕事を怠けさせ組織の非効率化を図ることにより、枢軸国側の占領政策を混乱に陥れ、士気の低下や軍需物資の生産力を滞らせることを目的としている。

内容としては産業機械をそれとなく故障させるという技術的面が強いものから、「常に決められた手順を守れ」「文章による指示を要求し、誤った解釈をせよ」といったマネージメントに関係する物や「トイレを詰まらせる」「鍵穴に木片を詰め込め」といった悪戯レベルのもの、さらに遅滞性の発火装置を使って火災を誘発する方法と多岐にわたる。このような行為をひとつひとつを眺める事により、組織がなぜうまく回らなくなるかを逆照射しようというのが、本書の狙いであるようだ。

本書の「解説」では、第五章の11「組織や生産に対する一般的な妨害」というホワイトカラー向けのサボタージュに重点をおいて解説がなされている。ホワイトカラー向けサボタージュ戦略は以下の7点に大別されるという。

1) 形式的な手順を過度に重視せよ
2) ともかく文章で伝達して、そして文章を間違えよ
3) 会議を開け
4) 行動するな、徹底的に議論せよ
5) コミュニケーションを阻害せよ
6) 組織内にコンフリクトをつくり出せ
7) 士気をくじけ

この7点を見ただけで、多くのビジネスマンは「あー、あるある」と頷いたのではないであろうか。本書の「解説」ではなぜこのような非効率化が、何者かに意図されたわけでもないのに組織で発生するのかを説明している。

例えば1番目の「形式的な手順を過度に重視せよ」ではマッスウェーバーが提唱した「官僚制」の概念の有効性を説明しつつも、ロバート・キング・マートンが「官僚制の逆機能」と呼んだ「目的の転移」について言及する。巨大な組を効率的に運用するためには手順を的確に守る事は重要なのだが、いつしか組織内部では効率的な運用の手段であるはずの「手順の重視」そのものが、自己目的化されてしまう現象が発生するという。R・K・マートンはこのような状況を「訓練された無能」と呼んでいる。

「会議を開け」などは一見、正しい行動のように思えるが、集団で仕事をすると個々の働きが見えづらくなるために、社会的手抜きの発生を招くという。さらには集団の中で、おかしな意見を言い恥いてしまうのではないかという懸念から、発言の抑制がおきてしまう。このような心理状態を「評価懸念」というようだ。評価懸念により、多くの人が沈黙する中で一部の声の大きな人の意見が、多数意見のように錯覚され「公的同調」が場を支配してしまうという。アメリカでおきたスペースシャトルの2度の墜落事故も、会議にその原因があることがわかっているという。集団は正しい意見を持つ個人の力を時として封じ込めてしまう。

また会社以外にもこのような行動は、様々な点で見うけられるであろう。例えば話題の「安保法案」に対する報道でも、反対の立場をとる野党や報道番組でしきりと「もっと議論が必要だ」といった言葉で政権を批判する。これなどは上記4番の「行動するな、徹底的に議論せよ」ではないだろうか。今回の法案の賛否はともかく、組織の行動を停滞させるためには、とにかく行動を避け、徹底して議論をさせ続けるという事がいかに有効なのかがよくわかる。

またホワイトカラーの点のみに限らず、ブルーカラー向けのサボタージュである「トイレを詰まらせる」や「部品を補充しない」といった点も現場の監督者であるならば留意するべき点ではないか。例えば私の勤めている工場でも、ゴム手袋やタバコの箱をトイレに流して詰まらせる行為や、必要な状況がわかっているのに部品を補充しない、といった問題がしばしばおきている。本書を読むまで、私はこれらの行為がただの悪ふざけに過ぎないと思っていた。しかしどうやら違うようだ。

当然、私の職場に海外の工作員がいるわけではない。ただ今の工場の主力は非正規労働者だという点に注目する必要があるのだろう。派遣労働者や外国人の出稼ぎ労働者が、現場の半数以上を占める現代の工場では、20世紀初頭に科学的管理法を提唱したフレデリック・テイラーが指摘した組織的怠業などと関連させながら、本書を読んでみるのもよいのではないか。

当時のアメリカでは出来高給制度が主にとられていたのだが、人件費を抑えるために出来高の単価が極端に抑えられる傾向があったという。そのため労働者は効率よく労働するほど損をするという状態にあり、多くの労働者が経営者に対し不信感を募らせていた。このため、個人の労働倫理などとは関係なく、労働者の間で暗黙の了解として、わざと職務を怠け労働者の間で生産調整が行われるようなことがしばしばあったという。

近年の製造業ではグローバル経済のあおりを受け、極端な生産効率のアップを現場に課している状況だ。しかし時給で働く非正規労働者からすれば、無理をして生産を高めたところで特に大きなメリットはない。彼らがそのような苦労しても、時給のアップも正社員への登用の道も閉ざされたままである。現場で主力を務めている非正規労働者の間では、経営者や正社員の監督者に対する不信が積もっている状況は確かだろう。このような状況が、単発的なサボタージュを生み出している背景にあるのではないか。

このように自身が属している組織に蔓延するサボタージュの背景に、どのような問題が含まれているかとう仮説を立てながら読んでいけば、組織の硬直化を防ぎ、効率の良い組織運営を営むヒントが見いだせるのではか。本書はわずか120ページほどの小冊子である。薄い本とはいえ、会社の「あるある」本として読むだけではもったいない。組織の本質と、そこで働く人間の心理を見つめながら読めば、多くの気づきを与えてくれる優れた組織論となるであろう。

HONZより転載
プロフィール

後白河

Author:後白河
1978年愛知県生まれ。10代の頃は中学3年で登校拒否、高校中退、暴走族の構成員とドロップアウトの連続。現在は自動車部品工場に勤務。気がつくとなぜかHONZのメンバーに。趣味は読書、日本刀収集、骨董品収集、HIPHOP

成毛眞氏が運営するHONZというオススメ本紹介サイトでレビューを書いています。
http://honz.jp/



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